【阪神ドラフト選手紹介・湯浅京己(下)】成長痛に苦しみ…不完全燃焼の高校時代

 今秋のドラフト会議で阪神から指名を受けた7選手(1~6位、育成1位)を紹介。今回はドラフト6位・湯浅京己投手(19)=BC富山=に迫る。

  ◇  ◇

 さらなる高みを目指し、覚悟を持って進んだ聖光学院で苦境に見舞われた。1年の冬に突如、野球ができなくなった。これまで肩肘どころか、一度も大きなケガをしたことがない丈夫な体が悲鳴を上げた。

 中学3年から急激に身長が伸びた影響で、腰が耐えられなくなっていた。いつ治るかも分からない成長痛。野球ができないどころか、ひどいときには歩けないこともあった。

 地元・三重を離れ、甲子園出場を目指して進んだ福島の地。痛みと共に日に日に不安もたまっていく。チームメートの前では気丈に振る舞っていたが、「帰りたい。何のためにここにいるのか分からない」と両親に電話で本音をこぼすこともあった。だが、ずっとくよくよしているわけにはいかない。次の日には「弱音を吐いてゴメン」とメールを入れて再びプレーできる日を待った。

 野球ができない時期も、プロになるという夢を諦めることはなかった。体を大きくするためには寮の食事だけでは足りず、精肉店を営む実家から2週間に1度、14食分の捕食を送ってもらうようにお願いした。メニューはステーキやハンバーグ、しょうが焼き、牛丼などで、母・衣子さんが調理。電子レンジで温めればすぐに食べられるように真空パックで届けてもらった。

 入学から何度も心が折れそうになりながらも耐え抜いた1年半。2年秋には試合で登板できるまでに復活し、3年春の福島大会決勝・いわき光洋戦では公式戦初登板初先発を果たした。

 成長痛から解き放たれると、徐々に存在感を発揮。最速145キロの直球を武器に夏の大会でのベンチ入りを勝ち取った。チームは甲子園切符をつかんだが、実戦経験が浅いということもあり、残念ながら甲子園メンバーからは漏れた。悔しかった。

 完全燃焼できなかった高校時代。卒業後に選んだ進路は独立リーグ・BC富山への入団だった。両親は大学まで進んでほしいという願いもあったが、「野球だけをやりたい。野球以外で他のことに時間を使いたくない」という本人の熱意に負け、最後は背中を押した。

 どんな困難にぶち当たっても前を向いて進む。「自分で自分の都を築けるように。自分で世界を切り開けるように」との願いを込めて京己と名付けられた。「ここからがスタート。入れたことに満足してはいけない」。夢だったプロ野球の世界で新たな道を切り開く。

 ◆湯浅 京己(ゆあさ・あつき)1999年7月17日生まれ、19歳。三重県尾鷲市出身。183センチ、88キロ。右投げ右打ち。小学4年から尾鷲少年野球団で野球を始め、尾鷲中時代は伊勢志摩ボーイズで投手と内野手。聖光学院2年時に内野手から投手に転向したが、3年夏の甲子園ではベンチ入りできず。2018年にBC・富山入団。最速151キロ。球種はスライダー、カーブ、カットボール、フォーク。遠投110.5メートル。

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