【私と甲子園】静岡・植松精一さん、広商はすごかった サイン見抜かれスクイズ外された

 高校野球を彩ってきた元球児の阪神関係者が、高校時代を振り返る「私と甲子園」。第10回は、静岡OB・植松精一さん(62)です。木製バットで高校通算36本塁打を放ち、「投の江川、打の植松」と呼ばれるほどの世代屈指の打者でした。唯一の甲子園出場となった73年夏は、決勝で広島商に惜敗。たくさんの思い出が残る高校時代を振り返ってくれました。

 金属バットなら、どれだけの本塁打を打っていたのだろう。45年前、静岡に“怪物”がいた。木製バットで高校通算36本塁打。植松さんは世代屈指の強打者として名をはせた。

 静岡は県内で静岡商と並ぶ名門。高校入学時、同級生には県内の有力選手がそろっていた。大柄な選手も多い中、植松さんは身長174センチ、体重70キロ。目立つ体格ではなかったが、バットコントロールは群を抜いていた。のちに本塁打を量産する秘訣は、力よりも技術にあった。

 「芯に当てることは自信があったから、バットはほとんど折らなかった。フリー打撃では、外野手が『植松の打球は落ちてこない』って言ってくれた。バットに乗せる技術があったんだと思う」。無駄のないスイングで、ボールに全ての力を伝えて快音を連発。入学直後の4月からレギュラーに抜てきされた。

 「2年秋の公式戦は、打率・750ぐらい打った。4打数2安打で『今日はダメだな』って言っていた」と振り返る。だが、甲子園にはなかなか縁がなかった。高3夏。ようやく念願がかなった。

 最初で最後の聖地でも、存在感を示した。初戦となった海星(長崎)との2回戦。3打席目に左翼ラッキーゾーンへ高校通算36本目の本塁打を放った。

 「練習試合では当たり前のように打っていたけど、やっぱり甲子園の本塁打は違った。気持ちよかったなあ」

 準々決勝は作新学院・江川を攻略した銚子商を破った。決勝では達川光男(元広島)らを擁する広島商と対戦。決勝は史上最多5万8000人が駆けつけ、立ち見も出るほど注目された一戦だった。

 試合は九回、広島商にスリーバントスクイズを決められてサヨナラ負け。植松さんは悔しさとともに、強豪の緻密な野球が印象に残っているという。

 「広商はすごかった。守備では打者ごとに外野が極端に守備位置を変えていたし、サインも見抜かれていた。静岡はスクイズの時に部長がサインを出していたんだけど、それも知られていたみたい。だから(三回にスクイズを)外された」

 優勝こそ逃したが、最高峰の舞台で戦った記憶は今も色あせていない。「静岡県の野球っていうと、いまだに静岡の準優勝って言ってくれる人がいるからね」。夏を迎えると、あの興奮は鮮明によみがえってくる。

 ◆植松 精一(うえまつ・せいいち)1955年10月10日生まれ、62歳。静岡県富士市出身。現役時代は右投げ左打ちの外野手。静岡では3年だった73年夏の甲子園で準優勝。法大を経て、77年度ドラフト2位で阪神に入団。1年目に104試合に出場したが、けがの影響もあって83年に現役引退。プロ通算成績は220試合、打率・191、2本塁打、22打点。引退後は静岡に戻り、会社員として働いている。

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