日本代表の絶対的守護神として君臨するGK鈴木彩艶(23)=パルマ。森保ジャパン1次リーグ初戦のオランダ戦(14日=日本時間15日)では開幕3分の決定機を防ぐなど、日本の勝ち点獲得に大きく貢献した。浦和ジュニアユース時代に指導した杉尾一憲GKコーチ(40)は、当時の鈴木彩を「努力の天才だった」と振り返る。大舞台で躍動する守護神の原点には、中学生とは思えないほど成熟した自己分析力があった。
浦和の下部組織で13年間指導してきた杉尾コーチは、鈴木彩の「考える力」について問われると、即答した。「彼を超えるような選手は会ったことがない」。身体能力だけではない。自ら課題を見つけて改善策を導き出す習慣が身についていた。
鈴木彩が中学2年のころ、練習中に杉尾コーチが好セーブを褒めると、返ってきたのは反省の言葉だった。「『もっといい重心で構えられていたら今のボールはつかめた』と。自己分析した上で、改善点までパッと答えた時があった」。その瞬間、この先の成長を確信したという。
中学時代から飛び級で、一つ上のカテゴリーの日本代表に選ばれていた鈴木彩。レベルの高い環境に身を置くことで成長スピードは加速し、杉尾コーチは指導者としての接し方を変えた。「彼はもう頭の中が出来上がっていた。より上の物差しで話をしていかないと物足りないなと、こっちが感じさせられた」と振り返る。
中学2年の途中からは毎回の練習後にLINEが届いた。単なる感想ではなく、練習の反省、改善点などが具体的に記されており、チームでは鈴木彩が唯一、欠かさず送ってきたという。「すごいなと思いましたよ。毎日毎日」と目尻を下げる。
壁にぶつかったときもあった。15歳の時に参加した17年のU-17W杯で、2歳年上で正GKだった谷晃生(現町田)を見て「次元が違う」と衝撃を受けていたという。「焦りじゃないが、もっとトレーニングしなきゃ、みたいなのがひしひしと伝わってきた」。2歳年上に追いつこうと、飽くなき向上心があった。
練習には一番早く来て、最後に帰る。練習前の用具準備などを1人で全て行い、そこから自分の準備に入った。人のせいには絶対にせず、学校の先生からも「悪いことは聞かなかった。むしろクラスをまとめてくれて助かっている」と、人間性の高さも際立っていた。
当時から目標にしていた日の丸を背負い、大舞台で躍動している。「堂々と思いっきりプレーをしてほしい」と願った杉尾コーチ。オランダ戦で見せた好守は、中学時代からの自己分析と改善の積み重ねによって生まれたものでもあった。(デイリースポーツ・松田和城)
◆鈴木彩艶(すずき・ざいおん) 2002年8月21日、埼玉県さいたま市出身。浦和ジュニア、ユース出身で、J1浦和とクラブ史上最年少となる16歳5カ月でプロ契約を結んだ。23年にシントトロイデン(ベルギー)に移籍し、24年にパルマ(イタリア)に加入。21年東京五輪では18歳で日本代表入りした。22年にA代表に初選出され、24年アジア杯で正GKを務めた。家族はガーナ出身の父、日本人の母、兄。190センチ、100キロ。