釜本邦茂さん死去 「サッカーは格闘技や。グラウンドの中で戦わなければいけない」 通底していた格闘精神【悼む】
日本サッカー界が生んだ不世出のストライカーで、1968年メキシコ五輪では得点王の活躍で銅メダルの原動力となった元JリーグG大阪監督、元参院議員の釜本邦茂(かまもと・くにしげ)さんが10日午前4時4分、肺炎のため大阪府の病院で死去した。81歳。京都市出身。最近は病気療養していた。通夜、告別式は近親者で行う。後日、お別れの会を開く予定。
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「サッカーは格闘技やと思う」。釜本さんは記者にそう言った。
「リングでなくても、サッカー選手はグラウンドの中で戦わなければいけない。相手のスパイクで僕のヒザはギザギザになっていたが、軸足で相手のタックルに耐えながらシュートを打ちました。ほんま、格闘技や」
そんな釜本さんの半生や交遊録などを盛り込んだコラムを2011年10月から12月まで54回にわたってデイリースポーツ紙面で連載した。題して「蹴球男塾」。具志堅用高さん、長州力さん、曙太郎さんに続く企画の人選が釜本さんだった。球技の選手という意味で異質ではあったが、その格闘精神は通底していた。
早大時代、同じキャンパスにいた田中真紀子さんや吉永小百合さんにまつわるエピソードに加え、新宿歌舞伎町の雑踏に逆行してフェイントの訓練をしていたという逸話が印象に残っている。
「向こうから来る人に1・5メートル近くまで寄る。僕の歩幅は約90センチで、2歩目まで行きかけといてから、足元だけでパッと離れる。そういうことを歌舞伎町でやっていたというのは事実ですよ」
愉快な人だった。「僕の夢は野球の監督です。1回やらせてほしいんですよ。クラブチームならどないやろ?」。国会議員を務めたように、ジャンルを超えて、終生、「釜本邦茂」であり続けた。ご冥福をお祈りします。(デイリースポーツ・北村泰介)




