オシム氏死去 川淵三郎氏追悼 “世紀の失言”「言っちゃった」の後日談も

 06年7月、サッカー日本代表監督に就任し、日本サッカー協会の川淵三郎会長(中央)、反町康治U-21日本代表監督(左)と握手するイビチャ・オシム氏
 06年7月、サッカー日本代表監督に就任し、日本サッカー協会の川淵三郎会長(中央)、反町康治U-21日本代表監督(左)と握手するイビチャ・オシム氏
 06年7月、サッカー日本代表監督に就任し、記者会見する
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 元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏が1日、自宅のあるオーストリア・グラーツで死去した。80歳。死因は不明。1994~2002年まで率いたオーストリア1部シュトゥルム・グラーツが発表した。葬儀は出身地のサラエボで執り行われる予定。2日には、オシム氏の日本代表監督就任時に日本協会会長だった川淵三郎相談役(85)が哀悼の意を表し、日本サッカー史に残る「失言」などを回想した。

 突然の訃報に接し、オシム氏との日々が脳裏によみがえった。川淵氏は「僕の“オシム失言”とオシムさんが脳梗塞で倒れた時」を「最も思い出深い」と振り返った。

 川淵氏といえば、オシム氏の日本代表監督就任を巡る「世紀の失言」があまりにも有名だ。2006年6月24日のW杯ドイツ大会総括会見で後任監督について「オシムが…」と口を滑らせた。静まり返った会見場を見渡し「『オシム』って言っちゃった」と続けた。

 オシム氏が市原(現千葉)の監督を務めていたため、礼を失した発言は大きな物議を醸した。川淵氏は自身の失言によって「代表監督を引き受けてくれなくなるかもしれないと心配した」というが、オシム氏は「会長がそんなことで謝ることはない」と代表監督就任を受諾。「常に僕の立場を慮ってくれる人だった」と感謝した。

 オシム氏は07年11月16日未明に急性脳梗塞で緊急入院した。川淵氏は会見で「命を取り留めてほしい」と涙を流した。ようやく面会がかなうと、第一声は「こんなに(リハビリで)痛めつけられて『ありがとう』と言わなければいけないのは承服できない」だったという。皮肉を好むオシム氏らしい言葉に「その時のいたずらっぽい笑顔が忘れられない」と懐かしんだ。

 出会いは1964年東京五輪のピッチだった。川淵氏も出場した日本代表との一戦で、オシム氏は旧ユーゴスラビア代表として2得点を挙げた。「非常にうまいセンターフォワードがいたのを印象深く覚えていた」。42年後、日本代表を率いるという縁に結ばれた。

 志半ばで病に倒れたが、「日本サッカーの日本化」を掲げ、独自のスタイル確立に尽力した功績は色あせない。「イビチャ・オシムという偉大な人物に指揮してもらえたことは日本サッカーにとって大きな名誉だと思う」。最大限の敬意を込めて、故人を悼んだ。

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