チームのために働き続ける努力家 J1広島・沢田謙太郎新監督

 畑大雅が、フリーでそこにいた。コーナーキックのクリアに対して、紛れもなく。

 ヘディング。カバーに入ったハイネル、届かない。やられた。直感した。だが次の瞬間。

 カーン。音が鳴った。ポストだ。こぼれた。大岩一貴が詰めた。どうだ。今度は荒木隼人。執念のブロック。最後は、松本泰志が大きく蹴り出した。

 レフェリーが笛を吹く。守り切った。7日の湘南戦。相手の強い覚悟を持った攻撃を、柴崎晃誠の退場で数的不利に陥っていた広島が跳ね返し続け、執念のスコアレスドロー。そしてそれは、沢田謙太郎新監督にとって記念すべき、初の勝ち点ゲットとなった。

 その瞬間、指揮官は雄叫びを上げた。本来であれば勝ち点1でそれほど感情をむき出しにすることはないが、状況が状況だ。退場劇は前半19分。そこからずっと、広島は10人で闘い抜いた。打たれたシュートは24本。J1残留に執念を燃やす湘南の猛攻を受け、耐え忍ぶしかなかった。

 その間、新指揮官はコーチングエリアの最前線に立ち続け、選手たちを励まし続けた。交代を余儀なくされた選手を笑顔で迎え入れ、肩を抱いて奮闘をねぎらう。その姿は、広島ジュニアユースの監督として川辺駿(現グラスホッパー)や宮原和也(現名古屋)らを育てた頃と、広島ユースの監督として高円宮杯チャンピオンシップを制した(18年)時代と、何も変わらない。ジャージとキャップ姿で指揮を執る姿も含めて。

 99年に移籍して以来、沢田はずっと広島のために働いた。「日本最高のライトバック」とエディ・トムソン監督から評価されるほど攻守に躍動し、引退後は後進の育成に情熱を注いだ。現役時代はサッカーをやりながら広島大学に通って教員資格取得を目指し、サッカー雑誌でコラムも執筆。自身の見聞を広めるための労力を惜しまない努力家は試合後、こう語った。

 「チームが1つになっての勝ち点1だった」

 沢田謙太郎監督の声は、叫びすぎで少し、枯れていた。

(紫熊倶楽部・中野和也)

 ◆沢田謙太郎(さわだ・けんたろう)1970年5月15日生まれ。神奈川県出身。身長170センチ。現役時代のポジションはDF。中央大から93年に柏に入団。95、96年には日本代表に選出され4試合出場。99年に広島に移籍し03年に引退。Jリーグ通算成績は237試合出場、10得点。広島ユースコーチ、同監督などを経て20年から広島ヘッドコーチを務める。城福浩監督の退任に伴い、21年10月に監督に就任。

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