内田篤人、涙のセレモニー 本来のプレー「後輩たちに見せることができない」
「明治安田生命J1、鹿島1-1G大阪」(23日、カシマスタジアム)
右膝に巻いたサポーターをボロボロにしながら何度もオーバーラップして好機を演出。守備では体を張った。前半39分にはカウンターの危機にFW宇佐美を倒して現役最後のイエローカードももらった。鹿島・内田篤人、現役ラストマッチ。前半16分、途中出場。74分間、「内田篤人」を出し切った。
試合後のセレモニーではジーコ氏から花束を贈呈された。「あんまり大した話しはしないんで大丈夫です。きょうぼくはここでサッカー選手を引退します」と切り出し、言葉に詰まった「えー、何だっけ」と笑いを誘った。
「鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルをとってきた裏で、多くの先輩たちが選手生命を削りながらプレーしてきました。僕は今、その姿を後輩たちに見せることができないと。日々の練習をしていく中で、体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーするのは違うのではないかと。サッカー選手として終わったのではと思うようになりました」
涙を浮かべながら、内田は引退に至った思いを明かした。
サッカー選手を目指す子供達に向けて「鹿島は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして今在籍している選手たちが君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです」とメッセージを送った。
そして最後に「サッカーを通じて出会えた全ての人達に感謝します。また会いましょう」と挨拶した。
生涯最後となるプレーで、内田は貴重な同点ゴールを生み出した。1点を追って、ロスタイム5分が終わろうとする後半50分。前線へのロングパスを送った。これを左サイドで競り合いを制した鹿島が繋ぎ、最後はDF犬飼が頭で押し込んで同点とした。
内田は清水東高か06年に鹿島入り。同年、アウトゥオリ監督に見いだされ、開幕節の広島戦からJのピッチに立った。以来、堂々と、そして攻撃的なタッチを随所に見せて伝統的な鹿島の右サイドバックを担い、07年からの3連覇に大きく貢献した。
代表でも08年1月のチリ戦で初キャップ。19歳305日のデビューは当時、J発足後で4番目の若さだった。10年のW杯南アフリカ大会では出場機会が得られなかったが、14年のW杯ブラジル大会では出色のプレーを見せた。
10年に渡ったドイツでは、主にシャルケでプレー。終盤は膝のケガとも戦いながらになったが、欧州CL4強入りなど輝かしい成績を残し、9シーズンをブンデスリーガーとして過ごした。18年から古巣・鹿島に復帰。20日にクラブを通じて今季限りの引退を発表した。クラブ発表によると契約期間は8月末まで。この日、15年間のプロ生活の幕を引いた。