五輪より世界王者を選んだ覚悟 高校卒業後にプロに転身した高見亨介 10戦無敗で戴冠
プロボクシングのトリプル世界戦(17日・両国国技館)のセミファイナルでWBA世界ライトフライ級王者の高見享介(帝拳)は、WBO世界同級王者レオ・サンティアゴ(プエルトリコ)と統一戦を戦う。7月30日に横浜BUNTAIでエリック・ロサを10回KOで下し、プロ10戦目で世界王座を奪取した高見にとって、戴冠直後で迎える王座統一戦となる。
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雅楽の「序破急」にならったかのような、印象的なKOシーンだった。
7月30日、横浜BUNTAIで行われたWBA世界ライトフライ級タイトルマッチ第10ラウンド。
挑戦者の高見亨介は、ムーンウオークのような動きで王者エリック・ロサの前進をやり過ごすと、素早いジャブを打った。
ロサのガードをたたいたグローブが、甲高いさく裂音を響かせる。
もう一度、さらに一度。鼓をたたくように、少しずつテンポを速める。
一方的なジャブの連打は13を数えた。最後は約1秒半で5発、BPMで言えば200に達した。
一拍おいて14発目を放ったところで、ロサがガードを解いて反撃してきた。そこで初めて、右の拳を振るった。
クリーンヒット。これを機に、今度は多彩なパンチを次々とたたき込む。
左右のフックでたたらを踏ませ、ボディで体をくの字にする。そして相手の出際に右フックをあわせ、ダウンを奪った。
ロサは一度は立ってきたが、もう試合を続けることは不可能だった。
ほどなくしてレフェリーが試合を止めた。
コーナーに駆け上がり、大見えを切って大歓声を浴びる。
プロ10戦目、無敗での世界タイトル奪取劇だった。
「小さい頃から、倒す試合が好きなので。ずっとそういう試合を目指してきました」
物心がつくころにはすでに、格闘技に親しんでいた。
幼稚園の年長で、2歳上の兄と一緒にキックボクシングを始めた。
すぐに初めての試合にも出た。
結果はドロー。するとこう言い放ったという。
「勝つまでやめない」
誰に言わされたわけでもない。
子どもらしい、本心からの言葉だった。
「やっぱり自分の中で、負けるっていうことはすごく大きなことだったんですよね。自分の中で、勝ち負けについては譲れない。勝負するなら、しっかり勝ちにこだわりたい」
そんな思いは、生まれながらのものだった。
当時のキックボクシングのジュニア選手には、のちのスターがそろっていた。
岩田翔吉。那須川天心。そして総合格闘家の平本蓮。少し年上の面々だが、当時からの顔見知りだった。
そんな中で、さらなる出会いがあった。
「ちょっとパンチの練習がてら来てみないか」。
誘ってくれたのは父親の知り合い。協栄ジムのマネジャーだった。
誘われるままに門をたたいた。それが、ボクシングの原点だった。
しばらくは、キックボクシングとの二刀流を続けた。
だがやがて、高見の心はボクシングに傾いていった。
メイウェザーやパッキャオが稼ぎ出す莫大(ばくだい)なファイトマネー。
それを知った時、子供ながらに心を決めた。
「すごいアスリートなんだなと。自分もそうなりたい。だからボクシングにしよう。そう思ったのが、純粋なきっかけですね」
「この子、強いから。見てください」
協栄ジムのマネジャーに連れられて、ひとりの中学生がジムにやってきた。
高見と出会った日のことを、田中繊大トレーナーはよく覚えている。
他のジムからそうやって移ってくるのは、とても珍しいケースではあった。
自分たちの手から離してでも、育ってほしい才能。いったいどれほどのものだというのだろう。
現役引退後、トレーナーとして単身メキシコに渡った。
現地ではWBC・IBF世界スーパーフェザー級統一王座など、3階級で世界タイトルを獲得したマルコ・アントニオ・バレラのミットトレーナーなどを務めた。
本田会長に乞われ、帝拳ジムでも選手を指導する。
多くの才能を見てきただけに、高見に向けたまなざしも冷静なものだった。
「まだ小さかったんで、大人になるまで続くのかなっていうのがまずありました。いいものを持ってても途中で飽きて辞めちゃう子も多いですからね」
だが、その小柄な少年の印象は、リングに上がると一変した。
「ボクシングを始めると、おとなしそうにしていた彼が、生き生きとしだした。技術よりもはるかに、リングに立った時の表情に目をひかれた。これは面白いなと思いました」
お披露目が終わると、協栄ジムのマネジャーが「記念写真を撮ろう」と言い出した。
今日は未来のスーパースターが、初めてこのジムを訪れた日。
だからこの写真は将来、必ず価値が出る、と。
プロを意識して、通信制の高校に進学した。
1年生でインターハイに出場。3位に入って銅メダルを手にした。
「本当はメダルすら取れると思ってなかったんですよ。でも、負けた準決勝もかなり惜しい試合で」
高額のファイトマネーを稼ぐスターボクサーが夢ではあった。
周囲も期待してくれていた。だが、中学生までは現実的に考え切れていないところもあった。
「練習も正直嫌いで。でもインターハイで3位になって、頑張ればもっと上に行けるんじゃないかなって思えた。自分の中できっかけになった試合かなと」
メディアは早くも「五輪の星」と紹介しだした。
五輪代表を何人も指導してきた名門・日大の梅下新介監督(当時、25年10月に逝去)が「6年後のパリ五輪に関係してくる素質の持ち主」と評したことで、注目度はさらに増した。
2年生になると、インターハイで優勝を果たした。アジアユース選手権でも3位に入った。
だがこのころにはすでに、取材に対してこんなコメントをしていた。
「相手を倒したい」「世界王者になりたい」
田中繊大トレーナーは当時、アマチュアでのキャリア継続を勧めていた。
「まだ身体が小さかったので。五輪を目指す形で、もう少しアマチュアを続けてフィジカルを強化してもいいんじゃないかと思っていました」
だが、その考えを本人に伝えると、即答されてしまった。
「嫌です」
強い意志を感じた。とても揺るぎそうになかった。
「後から聞いたんですが、プロになればパリ五輪までの4年の間に世界チャンピオンになれるんじゃないか、と思ってたみたいです」
高見自身も語る。
「五輪というものにそこまで惹かれる方でもなかったです。『世界チャンピオンになりたい』『プロになりたい』という気持ちの方が強かったですね」
パリ五輪よりも、子どものころからの夢の舞台へ。
自分の考えを押し切って、高見は高校卒業後すぐにプロになった。
まだ身体ができあがっていないんじゃないか。
そんな懸念を吹き飛ばすように、デビュー戦から短いラウンドでのKO勝利を重ねた。
田中トレーナーも認識をあらためた。
「デビューした時から、全然違いましたから。これはチャンピオンになれると思いました」
当の本人は冷静だった。
「自分はいずれこうなりたい、という気持ちはずっと変わらないんですが、本当にそうなれるという確信、ボクシングで食っていけるという確信を持てたのは、日本タイトルに絡めそうという感じになってからだったと思います。プロ5、6戦目まではバイトしながらの生活でしたし」
だが一方で、プロ入りを優先したことについては、それでよかったという確信を早々に持てた。
「プロは自分を表現できる場所、というのは強く感じています。アマチュアってどこかこうちょっと硬い部分があるというか」
見ごたえのある戦い、そしてKOシーンには、必ず大きな反響がついてくる。
その手前にある地道な努力と、華やかな試合での戦いとを、一貫したストーリーとしてファンが楽しんでくれるのもうれしかった。
「リングに上がって戦っている姿ももちろんかっこいいと思います。でも、それまでの過程もすごく良いものだなと思っていて。それがあるからこそ勝った時の喜びが大きくなると思うので、試合までにつくり上げていく、そういった過程の部分こそがプロボクシングの魅力だと思っています」
デビューからわずか10戦。
ジムの歴史を塗り替える最短記録(当時)で世界王座を奪取した。
その試合を終えたばかりの高見のもとに、一通のダイレクトメッセージが届いた。
送り主は、WBOで同じライトフライ級のチャンピオンベルトを持つ、レネ・サンティアゴ。
おれと統一戦をしよう。ラブコールは繰り返し、繰り返し送られてきた。
高見は帝拳ジムの本田会長に伝えた。
「僕もサンティアゴとやりたいです」
会長はさほど乗り気にはみえなかったが、「サプライズ」を準備してくれていた。
「しばらくした時に、急に『次はサンティアゴだよ』って言われました。うれしかったです。うん。素直にうれしくて。いや、やったわと」
対戦相手の研究は進んでいる。
スタミナがあり、最後まで足を使い続ける。だからこそ、テーマは明確だ。
「足で来る選手には、足で対抗しようかなって」
「やっぱあそこまで動き回る選手をどう仕留めるのか。おそらく『本当に仕留めれるのか?』ってみなさん思っている。そこをしっかり倒しきって勝てたら、またさらに評価も上がるのかなと思ってるので。フィニッシュはやっぱり倒して勝つのがベスト。4ラウンドまでに倒したいです」
初の防衛戦はいわば「鬼門」である。
ベルトを巻いたことで注目度が上がり、それに伴ってプレッシャーも大きくなる。
結果的に防衛回数を重ねた王者であっても、得てして「初めての防衛戦は難しかった」と振り返る。
なのになぜ、あえて王座統一戦に臨むのか。
高見は言う。
「防衛することも大事ですけど、自分としてはやはり、複数階級での王座獲得を成し遂げたい。スーパーフライ級までの3階級が、自分が行ける適正階級かなと考えています」
加えて、その先に究極の目標も持っている。
「最終的には、一番面白い試合をするな、って思ってもらえる選手になりたいです」
そのために、一番面白いと思ってもらえる相手を選んで、勝負を挑む。
たとえ厳しい相手との防衛戦になろうとも。ボクシングを通して、自分を表現していく。





