日本人初“聖地”で防衛成功の西岡利晃さん 道切り開いた先駆者「怪物」ジャックのラスベガスに感慨

 「西岡利晃GYM」で取材に応じた西岡利晃氏
 11年10月3日のデイリースポーツ終面
2枚

 「ボクシング・4団体統一世界スーパーバンタム級タイトルマッチ」(4日、ラスベガス)

 モンスターの君臨前夜、聖地への道を切り開いたパイオニアがいた。日本の世界王者として初めてラスベガスでタイトル防衛に成功したのが、元WBC世界スーパーバンタム級王者の西岡利晃さん(48)だった。2011年10月1日、MGMグランドのマーキー・ボール・ルームで行われたメインで元世界2階級制覇王者、ラファエル・マルケス(メキシコ)に3-0で判定勝利。後に日本人王者が世界に羽ばたく足がかりをつくった名チャンピオンに当時の思い出や、活況を迎えている今の日本ボクシング界について思いを聞いた。

  ◇  ◇

 井上尚弥、村田諒太、中谷潤人-。日本の世界王者が当たり前のように聖地を沸かせる前、先駆者となったのが西岡さんだった。当時世界王座を6度防衛しており「もう誰にでも勝てるような錯覚に陥り、モチベーションに苦しんでいた」と発奮材料を探していた。35歳でキャリア晩年に差しかかる中、帝拳の本田明彦会長からラスベガスで防衛戦を行えるチャンスがあると連絡があった。二つ返事で飛びついた。

 相手は大物マルケス。「パンチがある、スピードがあるという単純な強さじゃない。お互いベテランで、言葉で表せないような距離の取り方や技術で中身の濃い玄人向けの試合だった」。序盤はパンチが当たらなかったが、経験と技術と戦術を総動員し、判定勝ちした。メキシカン相手のアウェー星は快挙だった。

 WOWOWで海外の試合を見ていたボクシング少年にとって「憧れの舞台」。初めて立った01年6月、前座で1回KO勝ちし、目の肥えた客から「すごく面白かったよ」と声を掛けられ、自信が芽生えた。そして、3度目となったマルケス戦はVIP待遇でMGMのスイートルームに宿泊。「部屋は家みたいで広いし、欲しいものは何でも持ってきてくれた」。ただ、乾燥がひどく、汗が出ないため減量は四苦八苦。「日本の高温多湿の意識で行くと、えらい目に遭う」と教訓も得た。

 西岡さんが足がかりをつくった14年後、井上が2万人規模の大会場でメインを務めた。街には広告がいたるところに現れ「怪物」の二文字がジャックした。「一昔前じゃ考えられない。井上君が強いからできること」。また、世界を席巻する日本の軽量級に「本当にすごい」と感慨を込める。

 栄光をつかむまでは長く、WBCバンタム級王者ウィラポン(タイ)に4度挑戦して2敗2分け。途中アキレス腱を断裂するなど挫折を味わった。帝拳の長野ハル・マネージャーから「奥さんも子供もいるんだし、次のことを考えてみては」と手紙をもらったこともあるが、婉曲(えんきょく)表現の“引退勧告”だと気づかなかった。「僕がKY過ぎてピンとこなかった(笑)。辞めるつもりもないし何言ってるんやろと」。そして、32歳でつかんだ5度目の挑戦で夢をかなえた。12年にドネア(フィリピン)に敗れリングを去ったが「諦めなかったのが一番。あの時、続けなければ後悔していた。やり切って、よかったと思えるボクシング人生にできた」と胸を張って言える。

 現在、13年に西宮でオープンしたフィットネスジムにほぼ毎日顔を出しているが、今後もプロを育成するつもりはない。「やりたいことを全部自分でやっちゃったので。誰かを世界王者に育てたいと今は思わない」。ミットを持つ人が世界王者だと知らず、ダイエット目的で入会する会員も少なくない。「一人でも多くボクシングを見る楽しさ、やる楽しさを知ってもらいたい」。きらびやかな聖地への道を切り開いた先駆者は今、地道に種をまいている。

 ◇西岡利晃(にしおか・としあき)1976年7月25日、兵庫県加古川市出身。小学生時代からボクシングを始め、加古川南高3年時の94年12月、JM加古川ジムからプロデビュー。98年に日本バンタム級王座を獲得した。2000年に帝拳ジムに移籍。WBC世界バンタム級王者ウィラポン(タイ)に00年6月の初挑戦から4度挑戦するも失敗。08年9月、5度目の世界挑戦で勝利し、WBC世界スーパーバンタム級王座を獲得。7度の防衛に成功した。12年に引退し、戦績は39勝(24KO)5敗3分け。左ボクサーファイターで「モンスターレフト」「スピードキング」の異名を取った。169センチ。

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