武藤敬司「本当は俺に国民新党で出てくれと」元付け人・西村修さん秘話告白 今月股関節手術控える中、告別式駆けつけ弔辞「朝一番の尿を飲んだり」

 西村修さんの葬儀で弔辞を捧げる際に一礼する武藤敬司(代表撮影)
 西村修さんの遺影と向き合い弔辞を読み上げる武藤敬司(代表撮影)
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 2月28日にがんのため53歳で亡くなったプロレスラーの西村修さんの告別式が8日、東京都文京区の護国寺でしめやかに営まれた。プロレス関係者をはじめ多くの参列者が別れを惜しみ、新日本時代から縁が深かった武藤敬司(62)が弔辞を捧げ、「こんなに若く帰らぬ人になるとは思いませんでした。本当はプロレスも政治家もやりたいことはいっぱいあったはず。人になびかず、自分の意思を曲げずに貫いた西村修の人生と共に」と最後の別れを告げた。

 武藤は今月下旬に股関節の手術を控える中で駆けつけた。「今、股関節とか痛くて、護国寺は(斎場が)大きいところだから(歩行が困難で)遠慮しようかなと思っていたけど、直々に弔辞をオファーされたので頑張ってきました」と脚をさすった。

 西村さんは政治家としての顔もあったが、最初は全日本時代の2010年夏、参院選挙に国民新党から出馬したものの落選。その後、同党公認で生まれ育った文京区の区議として当選し、活動していた。

 武藤は弔辞で「亀井静香さんから頼まれて西村を指名した時、本気で国政の政治家を目指しました。それがきっかけで文京区の区議になった西村を俺は陰ながら応援してました」と読んだが、その後の取材で、「政治家のきっかけも俺が振ったわけだからね。本当は俺が国民新党で(国政に)出てくれって頼まれてたけど、俺イヤだから小島(聡)に振ったら、小島もイヤだって。だけど、西村はそこから政治家に興味を持って、文京区議になって」と秘話を明かした。

 西村修というレスラーについて「体は柔らかいけど、芯が強くて本当に折れない、(意思を)曲げない」と述懐。新日本時代に一度がんを克服した西村さんの当時を振り返り、「免疫力を高めて強い体になると言って、死体の浮いているガンジス川で沐浴したり、朝一番の尿を飲んだりして、常にがんと戦っていた」と我が道を行く人柄を表すエピソードを明かした。

 また、新日本時代に武藤の付け人を務めていた西村さんに愛車のワックスがけを頼んだエピソードを紹介。「買ったばかりの赤いフェアレディZに、研磨剤入りのワックスをかけたらしく、泡が真っ赤になり傷がついてました。俺は西村を責めることもできず、泣きました」と笑い話を懐かしんだ。「アイツ、車が本当に好きで、新弟子の時から車を乗り付けてたんだよ。だから先輩にも(愛車を)利用されたけど(笑)。で、札幌巡業の時レンタカーを借りて、同じ(北海道)警察に3回駐車違反を取られていた」と、思い出話を咲かせた。

 ◆主な参列者 藤波辰爾、武藤敬司、渕正信、、新崎人生、諏訪魔、天山広吉、小島聡、永田裕志、後藤洋央紀、SANADA、KENSO、征矢学(以上プロレスラー)、寺地拳四朗(プロボクサー)、山田邦子、せんだみつお(以上タレント)=順不同、敬称略

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