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猪木40年ぶり“BI砲”最後に来た手紙で「三途の川で待っている」と挑戦状?

 「プロレス・ジャイアント馬場没20年追善興行」(19日、両国国技館)

 99年1月31日に死去したジャイアント馬場さん(享年61)の没20年追善興行が9団体の59選手を集めて開催された。馬場さんのライバルだった元プロレスラーのアントニオ猪木参院議員(75)が、2人が最後にタッグを組んだ79年8月以降では初めて馬場さん関連の興行に来場し、「1、2、3、ダー!!」を絶叫。また、12年1月に現役引退したアブドーラ・ザ・ブッチャー(78)の引退セレモニーも行われた。

 “王者の魂”と“燃える闘魂”が国技館で融合した。追善興行のオープニングセレモニーに馬場さんの永遠のライバルである猪木氏が登場。「元気ですかー!元気があれば何でもできる」とおなじみのセリフで切り出すと、「元気があれば送り人もできるということで、20年ですか。早いもので、だいたい20年たつと忘れられてしまうんですが、このようにたくさんの方が駆けつけてくれて、ありがとうございます。ジャイアント馬場に成り代わってお礼申し上げます」と馬場さんをしのび、観衆に感謝した。

 馬場さんと猪木氏はともに力道山が設立した日本プロレスで60年9月30日にデビュー。60年代後半には2大エースとして団体をけん引し、タッグチーム“BI砲”は日本最強と呼ばれ、インターナショナル・タッグ王座を4度獲得するなどの大暴れを見せた。

 だが、72年3月に猪木氏が新日本プロレス、同年10月には馬場さんが全日本プロレスを旗揚げ。たもとを分かった2人の対戦を望むファンの声は大きかったが、両者が同じリングに立ったのは79年8月に行われた「プロレス夢のオールスター戦」でタッグを組んだのが最後。猪木氏が挑戦要求を繰り返し、馬場さんは沈黙を貫き続け、馬場さんが亡くなったことで実現しないままに終わった。

 猪木氏は馬場さんが最後の入院をする前にホテルで出会った時の秘話を明かし、「『お前はいいよな』と(言われた)。何がいいのかよく分かりませんが、私がいつも挑戦し続けたんで、馬場さんも困ったろうなと思う」と話した。さらに、「最後に(馬場さんから)来た手紙は『三途の川で待っている』と。挑戦を受けるべきかどうか、逆に私が困りましたけどね」と冗談めかし、最後は、「上がると挑戦状を受けたことになる」と、リングの下で「1、2、3、ダー!!」を絶叫した。

 会場を去る前に、馬場さんの追善興行に出席した理由を問われると、「みなさんに乗っけられた部分もあって、喜んでもらうことはいいことだと割り切った。馬場さんも喜んでくれてるんじゃないですかね」と説明。その表情は満足げだった。

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