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元阪神エース・仲田さん、離婚&評論家クビ→酒におぼれる日々も いまは建設現場監督で“復活”

 暗黒時代に刺した一筋の光。日本中の虎党を熱狂させた左腕は、時代を超え逞しく生きていた。亀山・新庄ブームに沸いた1992年の阪神タイガース。そのチームでエースとして勝ち頭の14勝を挙げたマイク仲田こと、仲田幸司さん(56)は現在、タテジマのユニホームから作業服に着替え建築の世界で活躍している。

◆「死亡説」や「ガンで入院説」の怪情報も

 現職に就いたのは2010年のことだ。先輩でありミスタータイガースの掛布雅之(ハンシンレジェンドテラー・以下HLT)氏のマネジャーも務めたことのある西浦丈夫さんの経営する建設会社、山河企画に入社。1997年の引退後は野球評論家となるも2006年頃には定職を失い、ご縁に助けられた形だった。

 当時の仲田さんの状況は最悪だった。所属事務所と評論家を務めていた放送局との関係は悪化。仕事が減少していたところに、離婚も重なり愛娘たちと会えない寂しい生活が続いた。

 「あの頃はメシも喉を通らなかったですね。正直、酒に明け暮れてました。ヤケになってましたね。あの頃のお酒は楽しくワイワイやって、家に帰ってバタンキューではない。悪い方に色んなことを考えてしまって、いい酒じゃなかった。次の日に残る酒。そのまた次の日もまた次の日も。メシも食われへんから、どんどん痩せていくしね」

 当時、一部の関係者の間では「マイク仲田死亡説」や「ガンで入院説」などという怪情報も飛び交った。直接、会った仲間には「俺はピンピンしてるよ」と話してはいたが、仕事もプライベートもうまくいかず疲弊していた。「離婚もあって、評論家もクビでダブルパンチですよ。一つ間違ったら逝ってたかもわからんくらい落ち込んでましたね」と先の見えないトンネルでもがき苦しんでいた。

 それでも、仲田さんは立ち上がった。重圧のかかる阪神でエースを張った男のハートは折れなかった。「俺も飯を食っていかなあかん。挑戦してみよう」と建設業界に飛び込んだ。「社長から『(元プロ野球選手という)プライドを捨てられるか』と聞かれました。何でもします。我慢しますと答えましたよ」。入社後は猛勉強で測量士の資格も取得。現在は現場監督を任せられ、安全管理などにいそしんでいる。勤続10年以上とあって「今の仕事に誇りを持っています」と胸を張る。

 現役時代は絵になる男だった。米国・ネバダ州生まれで、アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフ。幼少時に沖縄に移り住み、興南高では甲子園に出場し注目を浴びた。男前で長身。左腕から直球と大きくタテに割れるカーブを武器に将来を嘱望された。チームが日本一になった1985年には高卒2年目ながら3勝を挙げた期待の星だった。

 ただ、順風満帆の野球人生とはいかなかった。練習では誰もが羨むポテンシャルをみせるが、実戦のマウンドでは成績は伸び悩んだ。毎年のように“ブレーク候補”に挙げられるも、2桁敗戦を6度も経験するなど「ブルペンエース」と揶揄されたこともあった。

◆野球との縁は切りたくはない

 転期となった1992年は「そろそろやらんと俺もクビかなと思っていた」と前年の秋季キャンプから目の色を変えた。まずは「真っ直ぐの軌道から、右打者の内角にグッと入るスライダー、それと外角にちょっと抜けるボールを覚えた」と新たな技術を習得。さらに元々、メンタルの弱さを指摘されることもあったが「どちらかというと『おりゃ、打ってみろや』みたいなところがあって強気に行き過ぎる傾向があった。でも、タイミングよく甲子園のラッキーゾーンが撤廃されたこともあって、長打を警戒し過ぎず大胆な投球ができたのがプラスになった」と、環境も味方につけた。

 「あの1年だけだったかもしれないけど、こうして取材に来てもらえたり、ファンの方から声をかけてもらったりするのは92年の活躍のおかげかなと思いますね」。虎党の記憶に残る活躍は、今でも仲田さんの勲章だ。

 社業の傍ら社会人チームの「京都ジャスティス」で投手コーチを務めるなど、野球に関わる仕事も継続している。だが、「試合の時にぶっつけ本番の形で関わるスタイルなので、まだ物足りないなという気持ちはありますね」とも話す。現状の仕事には不満はないが野球との縁も切りたくはない。野球評論家の仕事にも「次から次といい人材が引退してくるから、難しいのは承知の上ですがね。手を差し伸べてもらえるなら、またやってみたいですよ」と心残りも否定できない。本業をしっかりこなしながら、野球とも向き合いたい。それが現状の希望だ。

 「今後、学生野球資格回復講習を受けることも考えています。そんな監督とかの立場とはいいませんよ。ちゃんと続けて指導をしている人たちもいますから。でも、野球が好きやし、母校も好きやしね。後輩たちに何かの形で力になるようなことがしたいですね」。

 一時は仕事もプライベートもどん底の時代を経験した。それでも前を向いて戦ってきた。そして、野球への情熱がまたふつふつと湧き出てきた。今年の6月には56歳になるが、まだまだ老け込む年齢ではない。ユニホームを脱いだあと、セカンドステージで輝くことで野球界の後輩たちに道を示すこともできる。思いは人一倍だ。「今の仕事も頑張らんといかんですけど、まだまだやりたい事もありますからね」。そう話す仲田さんの目には、勝負師の残り火が光っていた。

◆仲田 幸司(なかだ・こうじ)1964年6月16日生まれ。米国ネバダ州出身。沖縄・興南高から1983年ドラフト3位でで阪神入団。92年には14勝を挙げヤクルトとの優勝争いの中、エースとして活躍をみせた。95年オフにはFA権を行使しロッテに移籍。97年限りで現役を引退した。引退後は関西を中心に評論家、タレントとして活動。2010年から山河企画に勤務の傍ら、社会人野球京都ジャスティス投手コーチを務める。愛称の「マイク仲田」はアメリカ名のマイケル・フィリップ・ピーターソンから。NPB通算57勝99敗4セーブ、防御率4.06。最多奪三振1度、球宴出場1度(ともに92年)。左投げ左打ち。現役時代の身長182センチ、体重80キロ。

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