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元虎戦士「和製カンセコ」金子誠一氏は保険代理店社長

 自ら立ち上げた保険代理店の社長を務める金子誠一氏=大阪市内
バックスクリーンへ2ランを放つ金子誠一=1993(平成5)年9月9日
フェンスを越える飛球をジャンプ好捕の阪神・金子誠一=1993年9月4日、ナゴヤ球場
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 191センチ、100キロの体格を誇る大型スラッガーとして「和製カンセコ」と呼ばれた選手がいる。元阪神外野手の金子誠一氏(54)。引退後「野球のプロから保険のプロ」を目指して転身した金子氏は、現在、大阪市内で保険代理店「FPスタジアム」の社長を務めている。

 社員8人でスタートした会社は、故郷の仙台など6カ所の営業所を持つまでに成長。オリックスのT-岡田選手の場外弾による事故に最高1億円(翌年は倍額)が支払われる賠償責任保険を球団と結んで話題を呼んだこともある。

 88年のドラフト3位でプロ入りし、5年目の93年には101試合に出場。しかし95年に31歳の若さで戦力外通告を受けた。慢性化した腰痛のため野球を続ける道はなかった。

 心配した東北高時代の仲間から「ソニー生命の話を聞いてみないか」と声をかけられたのが転機に。断るつもりで出向いた先での出会いで入社を決意。同社に10年間務めた後、独立していた先輩の下で働き、自分の会社を興した。「プロ生活が中途半端で早く終わったからこの仕事に巡りあった。40代だったらできなかったと思う」と振り返る。

 業界では営業一筋。「カンセコ」の名前が話の糸口になったこともあるが、「この間までプロ野球やってたのに保険のことなんか分からんやろ」と追い返されたこともあったという。それでも、自身に課した約束事である「自分から人に寄っていって相手に自分を判断してもらう」を実践し続けた。着飾ったセールストークではなく、自然体で体当たりしていった結果、人脈は広がっていった。

 保険には欠かせない数字に強かったことも武器に。「小学生のときにソロバン3段を取っていたし、ずっと数学も得意だった。それが自分にはよかった」という。

 今なお、フットワーク軽く、顧客対応に動く社長は「『お前、元プロ野球選手らしくないな』と言われることは僕にとっては褒め言葉なんです」と笑顔を見せる。

 ここ数年、戦力外選手のトライアウトの場に、企業がスカウトに訪れることが話題だ。「野球をまだ続けたいと思ってる人たちだから、僕はあの場所には行けない」と話すが、温めている思いがある。「元プロ野球選手を保険の仕事で育てたいんです。いつか一緒に仕事をできたら」。野球とは別の天職を見つけた先輩として後に続く人材を待っている。(デイリースポーツ・若林みどり)

◆金子誠一(かねこ・せいいち)1964年7月23日生まれ。宮城県仙台市出身。東北高では4番投手として甲子園に春、夏連続出場。法政大学進学後に外野手に転向。社会人野球の本田技研和光を経て、88年のドラフト3位で阪神入団。95年引退。実働7年で324試合に出場、103安打、11本塁打、40打点、打率・225。2008年にFPスタジアムを設立。

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