さいたまんぞうタモリも絶賛した「なぜか埼玉」ヒットから37年…“必笑芸”編み出す

独自の“審判芸”に人生をかける、さいたまんぞう=東京・浅草東洋館
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 水曜深夜1時から放送されていたタモリの「オールナイトニッポン」。1981年2月から風変わりな曲が流れ始めた。タイトルは「なぜか埼玉」。歌った男は、なぜか岡山県人だった。さいたまんぞう、69歳。今は芸人としてジャズと野球審判員の動きを融合させた独自の“必笑芸”「審判パフォーマンス」に人生をかけている。

 西郷輝彦のサクセスストーリーに影響を受け、67年に岡山から上京。実力派のGS「アウト・キャスト」のバンドボーイを振り出しに下積み生活を続けた。80年、自主製作のご当地レコードを作っていた先輩に声をかけられ、引き受けたのが「なぜか埼玉」。地元の高校生がそのレコードを「オールナイト~」に送り、名物コーナー“思想のない音楽会”で紹介された。ナンセンスな歌詞とムード歌謡調の曲を、こぶしを付けずに歌った素人風の歌唱が番組で話題となり、81年4月にメジャーデビュー。12万枚のヒットとなった。

 「タモリさんは埼玉の田舎者が一生懸命歌ったというイメージだったでしょうが、ゲスト出演時に岡山出身と伝えると、4コマ漫画のオチで足を逆さにずっこける感じで、ガクッとされてました」

 同年には“失踪事件”で話題にもなった。所属レコード会社が本人の連絡先を把握しておらず、約3か月も音信不通に。せっかくヒットしたにも関わらず、本業の仕事がなく、すし店でバイトしていた。会社側は会見を開いて賞金5万円で捜索願い。バイト先店主の通報で現場復帰した。芸能の仕事が増えたのはその5年後だった。

 一方で草野球の審判員を79年から続けている。「多い時期で年間500試合くらい。仕事が増えた87年から約10年のブランクを経て今も年間150~180試合」。合計5000試合以上という。

 「私、芸能人なのに人と会話するのが苦手なんです。審判は人と会話しなくていいから。アウトかセーフか、事実だけを伝えればいい。ヨイショする必要もない。天職だと思う」。球審だけでなく塁審も1人で兼ねる。「タッチプレーは近くまで走って判定する。それが説得力。審判できなくなったら私の人生は終わり。動ける体を作っておかないと」。食生活に気を遣う。

 「審判パフォーマンス」はユーチューブでも評判だ。生バンドの演奏に合わせ、審判の動作を音に組み込み、ボールが股間を直撃して飛び上がる動きと音楽で笑わせる。「10年やってます。これだけは自信作です。世界で1人だと思います」。マイペースを貫き、今年で古希を迎える。(デイリースポーツ・北村泰介)

 ◆さいたまんぞう 1948年12月9日、岡山県出身。本名・牛房公夫(ごぼう・きみお)。デビュー当初は「斎田萬蔵」だったが、サインを書く時に画数が多いため、ひらがな表記に。TBS系の情報番組「そこが知りたい」(88~97年)の企画「通勤線途中下車の旅」などテレビでも活躍。映画では今年公開された「素敵なダイナマイトスキャンダル」に出演、公開予定の「漫画誕生」でアニメ部分の声優を務める。

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