低迷ホエールズで「凡事徹底」を実践し、常にベンチから声を出していた古葉竹識監督~池之上格の大洋話

 南海ホークスに池之上格というガッツマンがいた。バットを極端に短く持ち、死球大歓迎の特攻野郎。現役引退後は実直な人柄と幅広い人脈を生かしたスカウトマンとして活躍した。そのイケさんが自ら仕えた6人の監督を偲び感謝の言葉を捧げるコラム。第6回は横浜大洋ホエールズ時代の監督だった古葉竹識さん。

 ◇ ◇

 僕は古葉さんが大洋の監督をしていたころ、2年間は選手、最後の1年はスコアラーとしてお世話になってるんです。1987年からの3年間、古葉さんが監督に就任してから辞めるまで、ずっと面倒をみてもらった。

 古葉さんは僕が南海に入団したころの守備走塁コーチで、このときの縁が生きたんだと思う。南海を自由契約になったタイミングで古葉さんが大洋の監督になり、運良く拾ってもらえた。

 沖縄宜野湾の大洋のキャンプ地で、自主トレ中の1月に形式的な入団テストがあった。合格は決まっていて普通にプレーするだけでよかったが、太くて重い1・1キロのバットをもって、カーブマシンのボールを全部セカンドの頭上目がけて弾き返した。監督、コーチ全員が見ている前で。

 事情を知っている人は“そんなに頑張らんでもいい”という顔をしていたけど、自分なりに狙いや目的を示さないと、周囲を納得させられないと思って必死だった。

 あらためて合格を伝えられたときは涙が出た。これからは監督のためにやると決めた。その先兵が自分だ。練習からいっさい手を抜かずに一生懸命にやると。

 広島の監督を退任後、1年のブランクを置いて大洋の監督になった古葉さんに対し、既存のコーチは冷ややかな目で眺めている雰囲気があった。お手並み拝見みたいな感じで。広島から大勢のコーチ、関係者を引き連れて入団してきたから。

 古葉さんは厳しさに欠けるチームに本来あるべき姿を教え、作り上げようとしていた。だから僕にきつく当たることもあった。

 中日戦で送りバントを失敗し、ナゴヤ球場のベンチ裏でもの凄く怒られたことがあった。「お前が失敗してどうするんだ」と。ベンチまで距離が近いから全部聞こえるんですよ。選手たちに。そして次の日に2軍落ち。

 そのときコーチの寺岡(孝)さんに「イケ、なんで落とされたか分かってるだろ」と言われた。すぐに理解できた。あれだけ一生懸命にやっている人間でも落とされるのだから、もっと必死にやれという選手全員へのメッセージだった。

 1カ月後、再昇格する日に打撃コーチだった重松(省三)さんが「イケ、ありがとう。お前が来て練習量がいかに大事かということをコイツらに教えてくれて」と言って褒めてくれた。

 正直、僕は野球がヘタだった。ヘタな人間は練習するしかない。それを実践したに過ぎなかったんだけどね。

 その当時、強く印象に残っている言葉がある。間接的に耳にした中日・星野仙一監督の「池之上はどういうルートで大洋に入ったのか。俺はあいつが欲しかったんや」という話。

 僕のプレースタイルは「当たってでも塁に出る」というもの。1983年はシーズン16死球でパの“死球王”になった。星野さんはそういう玉砕型の選手を好んでいたのかもしれない。

 (池之上の通算死球は40個。通算打席が1094だから“死球率”としては高い。通算最多死球の清原和博は9428打席で196死球。率では池之上が上回る)

 野手に転向したころ僕はバットを普通に長くもっていた。だが、ブレイザー監督時代のヘッドコーチだった与那嶺(要)さんからアドバイスを受け、1グリップ半ぐらい短くもって内野の間を抜く打撃を心掛けるようになった。

 死球で出塁できるのなら儲けもの。バットに当たらないのなら体に当たってでも出る。それが自分の生きる道。そのうち当たる軌道が分かるようになった。怖くはない。青あざは男の勲章ぐらいにしか思わなかった。

 ところで、古葉さんの「凡事徹底」という思考も勉強になった。(阪神の藤川)球児監督も大事にしている言葉ですね。

 監督なのに常にベンチから1アウト、2アウトと声を掛けていたから「どうしていつもそれを言うのか」と聞いたことがある。そしたら「俺がベンチでできるのは危機管理。分かっていることでも信用せず、繰り返して言わないとダメだ」と真剣に話していた。

 大洋で現役2年を終えて球団からスコアラーへの転出を言われたとき、東京の古葉さん宅にお邪魔して現役続行を訴えたこともあった。4、5時間にわたり思いのたけをぶつけた。自分の去就の相談をしたのはそのときが初めてだった。

 当夜、自宅に戻った僕はある人の助言もあり、引退に踏み切った。「いつまでもユニホームを着ることはできない」と観念し、自分自身に決着をつけた。現役を退いたあとの背広組が一番強いという考え方もある。深夜だったが、古葉さんに電話を入れて「すべてお任せします」と伝えると、安心したような様子で16年間の現役生活を労ってくれた。

 翌年、古葉さんも僕も大洋を離れることになった。家内が「古葉さんと一緒に辞められてよかったね」と言ったが、僕にとってもそれは本望だった。大洋で拾われ次へのスタートを切るきっかけも作ってもらったわけですからね。セ・リーグを知ることができたのは、その後の人生で大きなプラスになった。

 あの日の帰り、古葉さんがゲタをカランコロン鳴らして僕を最寄り駅まで送ってくれたことを今でも思い出す。優しい人だったなぁ。

 ◆池之上格(いけのうえ・とおる)1954年5月19日、鹿児島県垂水市生まれ。72年度のドラフトで右投げ右打ちの投手として南海に3位入団し80年に野手転向。87年に大洋へ移籍した。実働16年。投手時代は2勝0敗(1完封)。打者としては570試合で15本塁打、97打点、打率・269。83年はパ・リーグ最多の16死球を獲得している。

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