【野球】ノーノー継続中の9回1死からの代打で広島に別れ→巨人への移籍「阿部が疲れた時に助けたい」入団会見で西山秀二さんが述べた決意

 1990年代の広島を正捕手として支えた西山秀二さん(58)は、2004年シーズンを最後に広島から戦力外を通告された。当時37歳。くすぶった気持ちを抱えていたベテランは、引退を受け入れることができず現役続行を決断。巨人と契約を結ぶことになった。広島での最終試合は劇的な展開で訪れた。

 ◇      ◇

 19年在籍した広島から戦力外を告げられた西山さんは、引退して野球解説者になる道を選ばず、他球団で現役を続行する決意を固めた。

 西山さんの希望を酌んで球団は自由契約の手続きを取ってくれた。

 広島の一員としての最後の一戦は忘れることができないという。

 10月14日のシーズン最終戦は広島市民球場での横浜戦。西山さんは、その日に合わせて出場選手登録されていた。

 広島は横浜・吉見祐治投手の前にノーヒットに抑えられたまま九回に突入。「代打・西山」が告げられたのは九回1死、あとアウト2つで快挙が達成されるという緊迫した状況だった。

 期待を背負って打席に立った西山さんだったが、結果は遊ゴロ。万事休す-かと思われたが、続く福地寿樹選手が左中間へ二塁打。そのシーズン最初のヒットでノーノーを阻止した。

 西山さんは苦笑交じりに振り返る。

 「最終戦で、それもノーヒットノーランされてるのに、代打で出してくれましたね」

 試合後は仲間からの温かい送別の儀式が待っていた。同じくその年限りで広島を去る町田康嗣郎(翌年に阪神入り)、引退する瀬戸輝信捕手とともに球場を埋めたファンが見守る中、ナインから胴上げされた。

 「悔いを残さず少しでも可能性ある限り現役を続けたい」

 試合後の取材に西山さんはそう答えている。ケンカ別れでの退団ではなかった。

 長年にわたって正捕手を務め打撃力もあるベテランのもとには複数球団から打診があったが、西山さんは最初に声をかけてくれた巨人と契約を結ぶ。

 「この年齢になって、今さらレギュラーは体力的にも無理だけど、2番手捕手としては十分いける。レギュラー捕手が休む時の1試合なら、レギュラー以上の働きをする自信はあった。2、3試合は体力が続かないけどね」

 当時の自己評価を口にして「キャッチャーがしっかりしたところに行って、2番手でやりたかった」と振り返った。

 阿部慎之助捕手(現監督)という絶対的な選手が存在する巨人はまさに希望にかなう球団だった。

 2004年12月15日。都内の球団事務所で行われた入団会見で西山さんは決意を述べた。

 「自分がフルに出るようじゃ優勝できないが、阿部がケガした時や、疲れた時に助けたい」

 また、大阪・大正中学時代にバッテリーを組んだ桑田真澄投手(現オイシックスCBO)とチームメートになることについて問われると「200勝のアシストをできれば」とコメントした。

 2005年4月17日のヤクルト戦(神宮)。移籍後初のスタメンマスクが巡ってきた。前日の同カードで右肩甲骨に死球を受けた影響で阿部選手が欠場。「8番・捕手」で起用されたのだ。

 先発は桑田投手。中学時代以来、実に23年ぶりにバッテリーを組んだ。高校時代に上宮とPLでしのぎを削った同級生の清原和博選手の3ランも飛び出した。桑田投手は3回途中7安打5失点で降板したが、西山さんの安打を足がかりに八回に好機が生まれ、仁志敏久選手の適時打で勝利を収めた。

 ただ、慣れ親しんだ広島を退団して、新天地で挑んだプロ20年目のシーズンは厳しいものとなった。

(デイリースポーツ・若林みどり)

◇西山秀二(にしやま・しゅうじ)1967年7月7日生まれ。大阪府出身。上宮高から1985年のドラフト4位で南海に入団。87年のシーズン途中で広島にトレード移籍。93年に正捕手となり94、96年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。広島の捕手として初めて規定打席に到達して打率3割をマーク。2005年に巨人に移籍し、その年に引退。プロ在籍20年で通算1216試合、打率・242、50本塁打、36盗塁。巨人、中日でバッテリーコーチを務めた。

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