【野球】「今日打ったら人生変わる」代打で逆転弾&安打放ち外野、三塁で守備機会 カープVに貢献した西山秀二さん
1990年代の広島で正捕手として活躍した西山秀二さん(58)にとって91年は転機となったシーズンだった。オールスター前の大洋戦で代打として2戦連続して勝利に貢献。首脳陣に認められ後半戦からは対左投手の代打の切り札となった。さらに内外野でスタメン起用されるようになり試合出場を増やしていった。チームの5年ぶり優勝のキーマンともなった、シーズンを振り返る。
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前半戦最後のカードとなった大洋3連戦(横浜スタジアム)。初戦に勝利して迎えた7月20日の2戦目で西山さんは大仕事をやってのけた。
0-1の七回1死一、二塁。マウンドには先発の左腕、田辺学投手がいた。当時、左投手に対する代打の切り札は植田幸弘捕手だったがベンチは温存。「まだ出すのは早いってことで、誰もおらんから、おまえちょっと行ってこいと言われて代打で出たんです」
初球は空振り。ベンチの水谷実雄コーチから「バカたれ、どこ振っとんねん」とヤジが飛んだ。2球目も空振り。「終わったな」そう思いながら振った3球目、バットが捉えた打球は左翼フェンスを越えた。プロ6年目で初のアーチは逆転3ランとなった。
その後延長に持ち込まれながらも、勢いづいたチームは勝利を収めた。
翌日、西山さんは球場で大下剛史ヘッドコーチから声をかけられた。「おまえ、今日も切り札やから。ここという時は後ろで準備しとけよ」。一時期は1軍戦力として相手にもしてもらえなかったヘッドからの言葉に奮い立った。
「今日打ったら人生変わる。打たんかったらマグレで終わる。そう思いましたね」
この日も先発は左腕の野村弘樹投手だった。1点を追う八回一死。達川光男捕手がヒットで出塁した場面で、西山さんは代打を告げられた。気合十分に臨んだ打席で今度は中前にヒットを運んだ。チャンスを広げたことで続く緒方孝市選手のタイムリーが生まれるなどその回3得点。広島は3連勝を飾り、首位中日とのゲーム差を4・5として前半戦を折り返した。
2度の代打で連続して結果を出した西山さんは、後半戦から対左投手の「代打の切り札」に昇格した。起用は代打にとどまらず、左投手が先発する試合では、内外野でスタメン起用されるようになった。
「市民球場の試合かな。代打で出てベンチに帰ったら、大下さんから、エラーしてもええから、そのままライトに行け、フライぐらい捕れるやろと言われたんです」
捕手でありながら、南海時代は遊撃もこなしてきた器用な西山さんを見越しての指令だったのだろうが、外野は練習すらしたことがなかった。それでも、緒方選手のグラブを借りて右翼へ走ると、ぶっつけ本番ながら無難にフライを処理。ベンチの期待に応えてみせた。
8月29日の大洋戦では「1番ライト」でスタメン起用され、延長戦にケリをつけるプロ初のサヨナラ弾も放った。打った相手は、プロ1号と同じ田辺投手だった。
9月になると「6番ライト」での起用が増えた。三塁の江藤智選手が不振により2軍調整する間には「2番サード」で出場することもあった。
後半戦、順位を徐々に上げていったチームは9月半ばに中日との直接対決3連戦で3連勝して首位に立ち、10月13日に5年ぶりの優勝を決めた。
「あのオールスター前の試合にポンポンと勝ったから流れが変わった。おまえの2つの活躍で流れが変わったって、あのころよう言ってもらったんです」。西山さんは述懐する。
第7戦までもつれた西武との日本シリーズ。広島は3勝4敗で日本一を逃したが、この舞台でも西山さんは「6番ライト」(第1戦)「6番サード」(第5戦)でスタメン出場している。
捕手としての出番は数えるほどしかなかったが「重宝された」という実感があったシーズンだった。オフを迎えた西山さんは球団に決意を告げた。「キャッチャーはしんどいし、これからは外野と内野をやります、そう伝えたんです」
答えはノーだった。
「内外野はいつでもできるから、とりあえずキャッチャーもやるように言われましたね」
キャッチャー継続は、翌シーズンの開幕戦でさっそく意味を持つことになった。
(デイリースポーツ・若林みどり)
◇西山秀二(にしやま・しゅうじ)1967年7月7日生まれ。大阪府出身。上宮高から1985年のドラフト4位で南海に入団。87年のシーズン途中で広島にトレード移籍。93年に正捕手となり94、96年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。広島の捕手として初めて規定打席に到達して打率3割をマーク。2005年に巨人に移籍し、その年に引退。プロ在籍20年で通算1216試合、打率・242、50本塁打、36盗塁。巨人、中日でバッテリーコーチを務めた。





