【野球】「喜んで行け、栄転や!」南海から広島への移籍を後押ししてくれた恩人の存在 入団当時の監督からの謝罪…西山秀二さんの回想

西山秀二さん
 南海監督時代の穴吹義雄さん
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 南海(現ソフトバンク)、広島、巨人で捕手として20年のプロ生活を送り、現在は野球評論家として活躍する西山秀二さん(58)。85年度のドラフト4位で上宮高から南海に入団したが87年のシーズン途中に広島にトレードとなった。入団からわずか1年5カ月での異例のトレードだったが、西山さんは喜んで移籍を受け入れていた。トレードの裏側で起こっていたこととは。

  ◇  ◇

 広島の森脇浩司内野手、永田利則内野手との2対1プラス金銭でのトレード移籍。2年目のシーズンが始まった5月に西山さんの広島行きは決まった。

 入団2年目の将来有望な若手をトレードに出したことで、南海の編成担当幹部は西山さんの実家を訪ね、両親に事情説明をして謝罪している。

 西山さんもまた、ドラフト当時の監督だった穴吹義雄氏からのちに謝罪されたという。

 「何年かたってブキさん(穴吹さん)と会った時にトレードの話になって。“悪かったなあ。わしが指名だけして辞めたから、おまえを辛い目に遭わした。監督をやってたらおまえもすぐに1軍に上げてたんやけど”って言われましたね」

 入団以降の夜遊びなどのやんちゃぶりが南海を出される一因になったと西山さんは語っているが、さまざまな事情が絡み合ったデリケートな案件であったことがうかがえる。

 周囲の気遣いとは別に、本人はトレードの可能性があることを事前に知り、移籍を前向きにとらえていた。

 「トレードが決まる1週間か2週間前に“おまえ、トレードになるかもしれんぞ”って言われてたんです。たぶん巨人か広島になるって。“南海からそんな球団に行けるヤツはおらんのやから、おまえ、喜んで行け!栄転や”って。ありがとうございます!って言いましたね」

 入団2年目の87年から2軍監督に就任していた柴田猛さんからのゲキに、西山さんは背中を押され気持ちを奮い立たせていた。

 捕手出身の柴田2軍監督は、西山さんにとってリードの基礎をたたき込んでくれた師匠であり、恩人だ。「厳しかったけど、配球とか一番野球の勉強になった」と振り返る。

 87年の年明け早々、西山さんは遊離軟骨による右ひじ痛を発症。「キャッチャーで座った位置から投げるのがキツかった。そしたら柴田さんが動きながらやったら投げられるやろうからショートをやれ、わしが使うたるからと言ってくれて」

 キャンプからショートの練習を開始した西山さんは難しいポジションを器用にこなしていった。ウエスタン・リーグでは「1番ショート」で起用され結果も残した。

 「うまかったよ。当時はスラッとしてたし、動きもめちゃくちゃよかった。キレもあったしね。運動神経は良かったから。エラーもひとつぐらいちゃうかな。3割ちょい打ってたし、1カ月で8か9盗塁もしてた」と自画自賛する。

 負担を減らしたことで、ひじの痛みは落ち着いていったという。

 「痛かったり痛くなかったりやけど、(遊離軟骨は)うまく固まった。手術なしで結局いけたから」

 ショート挑戦は、西山さんの潜在能力の高さを示し、移籍先の広島でも当初は内野手として起用された。

 「もし、トレードにならんかったら、キャッチャーはしてなかったかもしれんね。南海でそのまま内野手を続けて、ダイエー、ソフトバンクといってたんじゃないかな」

 「トレードで巨人に行ってたら、また人生が変わってたよね。ほんと、こればっかりは分からん」

 広島移籍をへて最終的に巨人でプレーして現役生活を終えた西山さんは、トレードがなかった人生、トレードで巨人入りした人生を夢想してニヤリと笑った。(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇西山秀二(にしやま・しゅうじ)1967年7月7日生まれ。大阪府出身。上宮高から1985年のドラフト4位で南海に入団。87年のシーズン途中で広島にトレード移籍。93年に正捕手となり94、96年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。広島の捕手として初めて規定打席に到達して打率3割をマーク。2005年に巨人に移籍し、その年に引退。プロ在籍20年で通算1216試合、打率・242、50本塁打、36盗塁。巨人、中日でバッテリーコーチを務めた。

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