【野球】山あり谷ありの18年の野球人生「しんどいこともあったが、すごくいい経験ができた」元阪神のドラ1が3球団で培ったものとは
阪神、近鉄、楽天の3球団に在籍し、先発、中継ぎとして活躍した山村宏樹さん(49)は地元山梨の企業「株式会社フォーカス」で営業職を担当しながら、今季からBCリーグ・山梨のGMを務めている。ドラフト1位指名を受けての入団、病気による戦力外、球団消滅、新規参入球団への移籍という変化に富んだ18年の現役生活を送った山村さんが、自身の野球人生を振り返り、新たな挑戦への思いを語った。
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阪神のドラフト1位指名から始まったプロ野球人生は、山あり谷ありの起伏に満ちたものだった。
18年という長い歳月を「よかったです。本当によかったと思ってます」。山村さんは穏やかな笑顔で振り返る。
「いまだにね、『タイガースでしたよね?』って声をかけられること、めっちゃ多いですから。嫌なこともしんどいこともありましたけど、すごくいい経験ができたと思っています」
自律神経失調症を患い、阪神を5年間で退団。一度はプロ野球人生に区切りをつけようとしたが、熱心な誘いを受けて入団した近鉄で才能を開花させ5年間を過ごした。球界再編によって近鉄は消滅したが、新規参入球団の楽天には8年間、在籍した。これほど長くユニホームを着続けられたのはなぜなのか。
「目立ったものもないのに、とは思いますけど。残るにはやっぱり何が必要か考えますよね。やりたいじゃないですか。毎年毎年、18年間新しい選手が入ってくるんですから。何かないと残れない」と力説する。
「自分のしっかりした考えとか曲げないものは持ってました。高校の時に教わった投げ方の軸は絶対に曲げないというのはありましたね。聞く耳をもたなきゃいけないってのも覚えたし、右から左(に流すこと)も覚えました。だって全部聞いてたからパンクしたわけですから」
ソフトな印象とは対照的な芯の強さ、頑固さをのぞかせた。
苦い経験を経て、自分の生きる道、自分を生かせる場所を見定めてきた自負もある。「投手が(1球団に)30何人いて1軍にいられるのは12人ぐらい。20番目や27番目だったら、絶対にチャンスはない。ただ15、6番目までに入ってれば、エースじゃなくても必ずチャンスはあるじゃないですか」。組織で生き抜くしたたかな戦略を明かした。
山村さんがGMに就任した山梨はBCリーグに本加盟して最初の年を迎えている。
編成や球場の確保といった仕事の他に、心を砕いているのは魅力あるチーム作り。「主力級の選手が独立リーグの山梨を選ぶようになるには何が必要かということ。山梨県の企業さんに、現役を終えた選手が就職できるようスポンサーになってもらっている」と説明し、「あとはプロに行ける選手が出てくるようになれば、県外の人もこっちを向いてくれるかなあ」と期待を寄せる。
くしくも阪神、近鉄、楽天の3球団でともにプレーした星野おさむ氏も今年から、BCリーグ準加盟となった千葉のGMに就任。今後のチームのあり方など意見を交わすこともあるという。
引退後も好きな野球に携わることができるのは、縁あって社員となった、地元企業の社長の理解があってこそだと感謝する。オリジナルクラスTシャツなどを制作販売する「フォーカス」で営業職を担当する山村さんは「プロだと楽天もサッカーチーム、バスケもやりましたね。阪神にも営業で行きましたよ。最初は見積もりも入力もできなかったけど、覚えてやれるようになった」と異業種に取り組み始めた当時を振り返った。
「人間、追い込まれたら、やるんですよ。野球もそうじゃないですか。クビになってからやったんじゃ遅いですから。ならないようにやらなきゃいけない。そういうことを野村(克也)さん、星野(仙一)さんに教えてもらったんです。梨田(昌孝)さん、小林(繁)さんもそうですよね」。18年のプロ野球人生で出会った恩師の名前を挙げていった。
「阪神も近鉄も楽天も経験できて、いろんな指導者、いろんな人に出会えた。経験したこと、教えてもらったことを伝えていきたい。僕でもできたっていうのを伝えていかなきゃいけないなと思ってます」。山村さんは球界に恩返ししていく覚悟をにじませた。
(デイリースポーツ・若林みどり)
◇山村宏樹(やまむら・ひろき)1976年5月2日生まれ。山梨県出身。甲府工から94年のドラフト1位で阪神に入団、98年9月17日の広島戦でプロ初勝利。2000年に近鉄にテスト入団し、同年にオールスター出場。01年には優勝に貢献し、日本シリーズ出場。04年の分配ドラフトで楽天入りし、2012年に引退。プロ在籍は18年で225試合に登板、通算31勝44敗2セーブ、20ホールド。防御率5・01。今年からBCリーグ・山梨のGMを務める。株式会社フォーカスでは営業を担当。