【野球】赤鬼マニエルへの顔面死球「お前がこんなことをするとは…」敵将の怒り 戦線復帰後、果たした対面「ぶん殴られるかと」八木沢さんが明かした思い

八木沢荘六さん
死球で骨折したアゴをガードする特製ヘルメットを着用して復帰した近鉄のチャーリー・マニエル=1979年
2枚

 ロッテ投手時代の八木沢荘六さん(80)を語る時、避けては通れない人物がいる。ヤクルト、近鉄でプレーし「赤鬼」と呼ばれたチャーリー・マニエル選手(81)。1979年、八木沢さんはマニエルさんの顔面に死球を与え、アゴの粉砕骨折という大けがを負わせた。パ・リーグの前期優勝に向けて独走していたチームの主砲は怒りを募らせた。遺恨を招いた死球から46年。八木沢さんの心情を聞いた。

  ◇  ◇

 「一番はね、チャーリー・マニエルのここにぶつけたこと。なんで当たったか…」。

 13年の現役生活、30年近い指導者人生の中で最も印象に残っている出来事を尋ねると、八木沢さんはその名前を口にして、アゴを触った。

 1979年6月9日、大阪・日生球場での近鉄-ロッテ戦の五回にアクシデントは発生した。

 キャッチャーからのインハイの要求で、1ストライクから投じた2球目の直球がマニエル選手の右下アゴを直撃した。

 「俺のボールはスピードなんかないんだから、スッと逃げられるはずなんだけど、踏み込んできたんですよ、カッと。それでバチンと当たった」

 迫ってくる投球を避けることなく、踏み込んできたマニエル選手の動きを、自身の上体を使って説明してみせた。

 死球を受けたマニエル選手は痛みと怒りを爆発させていた。

 「くるっと前を向いて俺に向かってきた。二歩か三歩でガタッとヒザをついてしまって。血がダーッと流れてたんです」

 崩れ落ちたマニエル選手のもとには近鉄の西本幸雄監督が駆け寄っていた。近づいた八木沢さんは帽子を取り「どうもすみません」と謝罪したが、監督は視線を向けることなく言ったという。

 「おまえがこんなことをするとは思わなかった」

 救急車で運ばれ入院したマニエル選手はアゴの骨が砕けていた。診察した医師は「アゴが5つか6つくらいに割れている」とコメントしている。

 前期優勝へマジックを10とし独走していた近鉄にとって痛すぎる主砲の戦線離脱。本人はもちろんのこと近鉄サイドも怒りを隠さなかった。ファンの怒りもすさまじく、八木沢さんのもとには脅迫めいた茶封筒などが届き、警察がパトロールに回ったほどだった。

 マニエル選手は11日に5時間半の時間を要してアゴの骨を整復する手術を受け、全治2カ月の診断が下された。

 8月4日の阪急-近鉄戦(西宮)で、マニエル選手は56日ぶりに試合に復帰した。手術したアゴを守るためのフェースガード付き特製ヘルメットを着用し、代打でいきなり2点タイムリー。長期離脱したにもかかわらず、その年、37本塁打で本塁打王に輝くなど近鉄の初優勝に貢献した。

 八木沢さんは、戦線復帰したマニエル選手と対面している。

 「話がしたいと会いに行ったんです。こっちも通訳を連れて行って、向こうも通訳と一緒に。俺はホームランをあまり打たれてない。だから、ここ(頭部付近)に投げることはしない。インサイドを攻めるのは技術なんだと。インサイド(胸元)に投げて、外に投げる。(死球は)意図的にやったことではないから、それは考えてほしいと言ったんです」

 故意死球ではなかったことを伝えたかった。

 「俺が言ったことを通訳が言ったら、『オッケー』って。握手もしない。『オッケー』だけ。だから、もう終わり。ぶん殴られるかと思ったけど」

 目を合わせることもなかった、握手なき手打ちを振り返った。

 その後の2人に接点はなかった。「対戦もなかったな。わざわざね」

 日本で6年間プレーしたマニエル選手は、母国のアメリカに帰国。指導者として手腕を発揮し、2008年にはフィリーズ監督としてチームを28年ぶりのWシリーズ制覇に導いた。

 「向こうに帰って、監督までいったんだよね」。その後の動向を気に懸けていたように八木沢さんは言った。

 「知り合いの記者がアメリカに行った時に、会ったらしいんだけど、そしたら『ヤギサワは元気?』って言ってたって。そんなことを聞いた。その人が言っただけかもしれないけど」

 表情が少し和らいだ。

 ただ、死球によって大けがを負わせたという事実が消えることはない。申し訳なさは、トゲのように八木沢さんの心にずっと突き刺さっている。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇八木沢荘六(やぎさわ・そうろく)1944年12月1日生まれ。栃木県出身。作新学院、早大を経て、66年のドラフト1位で東京(現ロッテ)入団。73年にプロ野球史上13人目の完全試合を達成、最高勝率・875を記録した。在籍13年で394試合に登板。71勝66敗8セーブ。防御率3・32。92年から94年途中までロッテ監督。ロッテを含め、西武、横浜、巨人、阪神、オリックス、ヤクルトと7球団のコーチを歴任した。日本プロ野球OBクラブ理事長。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

インサイド最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス