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【野球】今も忘れない88年ドラフト当夜 広島1位・野村謙二郎との深夜に及ぶ単独取材

 今も忘れない。1988年ドラフト当夜のことを覚えている。広島1位・野村謙二郎との深夜に及ぶ単独取材のことだ。

 プロ野球のドラフト会議が11日、無事に終了した。高校生BIG3の小園健太(市和歌山)や大学No.1左腕の隅田知一郎(西日本工大)は抽選の結果、それぞれの指名球団が決まり、正式に入団交渉がスタートする。

 今回は新型コロナウイルス感染症の影響で、プロ野球担当記者は抽選会場での取材活動は許可されなかった。だが、従来の形とはやや異なったが、指名を一日千秋の思いで待つ選手のため、所属チームや学校が会見場を用意、喜びの声が日本各地で聞かれた。

 かつては会議終了直後、監督やスカウトらが指名した選手の元を訪れたケースも多かった。だが、会場取材の関係で、そのあいさつに間に合わないこともあった。焦りまくった揚げ句、現地に到着すると会見などはすべての対応が終了。会社や学校関係者に頼みこみ、指名された選手を呼び出したもらって、取材したことが何度かあったものである。

 その中で思い出深い出来事がある。88年のドラフト会議である。当時、広島担当として抽選会場で取材していた私に夕刻、会社から「とにかくドラフト1位の野村謙二郎の顔だけでも見てこい」と指令が下った。

 この時点で、野村の会見は当然終わっている。だが、担当の渡辺秀武スカウト(故人)が野村の所属する、駒大の野球部寮へ指名あいさつに訪れると聞いた。そこで、会場のパレスホテルから世田谷区にあった駒大の野球部寮へタクシーを飛ばしたのである。

 ところが、夕方の都内の交通渋滞は並大抵ではない。しかも、寮の近辺はかつては農道で道は狭い。寮に到着したころには、指名あいさつは終了しており、広島関係者はおろか駒大の太田誠監督(現終身名誉監督)の姿さえなかった。

 そこで、電話番をしていた野球部の下級生に野村を呼び出してもらおうと思ったのだが、ここで耳を疑う衝撃の事実が。4年生でドラフトの指名を待つばかりの野村はすでに退寮。「都内にアパートを借りて住んでいる」というのだ。このときほど焦ったことはない。

 ところが、当時は今ほど個人情報の取り扱いにうるさくなかった。その電話番の下級生が、野村が住んでいるアパートの住所を教えてくれたのである。その住所を見て驚いた。私が生まれ育った、東急東横線・学芸大学のとなり祐天寺駅のすぐそばだった。なじみの書店のすぐ裏で、土地勘はばっちりだった。

 その住所にたどりついたのは午後8時ぐらい。そこから、文字通り膝をつき合わせての単独取材だった。雑談を含めて2、3時間は野村の部屋にいたと思う。銀メダルを獲得したソウル五輪のこと、野村の叔父で、元広島の選手だった八木孝の話や趣味に至るまでそれ根掘り葉掘り聞いた。よくぞそこまで対応してくれたと思う。思い出深い出来事である。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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