【競馬】志半ば-船橋競馬・佐藤賢調教師の遺志を継ぐ強い馬づくりを

 突然の訃報だった。5月1日の朝、美浦トレセンでの取材中に船橋の佐藤賢二調教師が亡くなった、との一報が入った。「エッ、なんで?」-。早速、船橋のある調教師に確認をすると、「朝3時ごろ突然、胸が息苦しくなって救急車を呼んだんだけど、救急車が着いた時には既に…」と困惑した様子で、信じたくない事実を知らされた。

 騎手時代から数えて30年以上、取材をさせてもらってきた。宮城県出身。東北なまりがきつく、しかも早口。「オレは滑舌が悪いからさあ」。時々、聞き取ることができずに閉口したこともあったが、質問にはいつも丁寧に応じてくれた。その半面、自分の意図した調教ができなかった時などには、「何やってんだ!速過ぎるよ。後ろを見てみろ、そんなんじゃ併せ馬にならないだろ!」とスタッフが引き上げてくるなり大声で怒鳴りつけた。それは調教中のお決まりのシーン。それだけ競馬に、強い馬づくりに真剣だった。

 船橋競馬は昔から名ジョッキーや名馬、そして名トレーナーを輩出してきた。その中にあって、佐藤賢二調教師も数多くの名馬を育ててきた。デビューから8連勝で、最初で最後となった南関東4冠馬(2001年羽田盃、東京王冠賞、東京ダービー、ジャパンダートダービー。※東京王冠賞はこの年を最後に廃止)となったトーシンブリザード。史上初の南関東牝馬三冠(06年桜花賞、東京プリンセス賞、関東オークス)のチャームアスリープ。10年デイリー盃大井記念など重賞3勝を挙げたセレン。ヒガシウィルウィン、ハセノパイロでは17、18年の東京ダービーを連覇した。そして、歌手・北島三郎の所有馬として知られるキタサンミカヅキは、9歳まで走り続けて17、18年の東京盃、19年東京スプリントと交流重賞3勝と活躍。優秀なスタッフにも恵まれ、中央で頭打ちだった同馬を見事に復活させた技術は特筆ものだった。

 亡くなる3日前、4月28日の東京プリンセス賞を南関東2冠牝馬(12年東京プリンセス賞、関東オークス)アスカリーブルの娘アクアリーブルで勝ち、桜花賞に続く2冠を達成。にこやかな笑顔で口取り写真に納まったばかりだった。重賞通算50勝目。これが最後のタイトルになるとは、この時、誰が思ったことだろう。

 その翌日、クラシック第1弾の羽田盃ではブラヴールが2着に敗れたが、東京ダービーでの逆転を十分に意識させる好内容だった。同馬は父セレン、母チャームアスリープという、トレーナーにとってはこの上ない夢の結晶(同配合で2頭目)で、今後に大きな期待を膨らませる一頭だっただけに、その無念さは計り知れない。

 「中央の馬を負かしたい。地方競馬を盛り上げたい」-。いろいろなアイデアを生み出し、地方競馬の知名度アップに尽力した川島正行調教師。挑戦すること43回。残念ながら中央での勝利はならなかった(2着3回)ものの、「条件クラスなら、いつでも勝てる。勝つなら重賞、G1じゃなきゃ駄目なんだ」が口癖だった。

 アラブ人のように真っ黒な口ひげを豊富に生やし、眼光鋭く、そんな姿、言動から“闘将”と言われた。通算成績は1276勝(重賞は交流G1の13勝を含む139勝)で、生涯連対率42・4パーセント、同勝率26・4パーセントを誇った名トレーナー。地方所属馬として、初めてドバイ遠征(05年ドバイワールドC6着)したアジュディミツオー、交流G1で6勝したフリオーソが代表馬。その他では中央競馬で力の衰えた馬を再生させる術にも定評があり、それは“川島再生工場”とも呼ばれた。そんな師も、志半ばの14年9月に66歳の若さで逝ってしまった。

 佐藤賢二調教師も同様に「中央の馬に一矢報いたいね」が決めゼリフだった。限られた施設を最大限に生かし、中央の馬にも負けない強い馬をつくる。それが地方競馬界の活性化につながると信じて。そんな使命にまい進し、走り続けた2人の偉大なホースマン。またしても大きな財産を失った。

 今改めて、川島正行調教師の功績に思いをはせ、佐藤賢二調教師の無念さを心に刻み込む。2人の熱い遺志を継ぎ、こんな時期だからこそ、残された関係者は競馬場に訪れることのできない、多くの競馬ファンが元気になれるよう盛り上げてほしい。それをわれわれも全力で取材し、全国に発信していきたい。

 それにしてもサトケン先生、69歳は早過ぎますよ。調教師として通算978勝。お疲れさまでした。合掌。

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