【競馬】「メジロ牧場展」で横山典がトークショー メジロの血は永遠に~

 東京・府中市の東京競馬場内にあるJRA競馬博物館では現在、秋季特別展「メジロ牧場の歴史~“白と緑”の蹄跡」が開催されている。日本競馬史上に数々の名馬を送り出した名門・メジロ牧場。その栄光の足跡を、多くの貴重な展示品や関係者のインタビュー映像で、改めて知ることができる。

 オープニングデーとなった10月6日には、東京競馬全レース終了後に、パドックで横山典弘騎手(50)=美浦・フリー=のトークショーが行われた。予定時間を30分ほどオーバーする盛りだくさんの内容に、約700人のファンが熱心に耳を傾けていた。

 横山典といえばメジロライアンの主戦として、平成初期の競馬ブームを大いに盛り上げた。1990(平成2)年の牡馬クラシック戦線では、三冠レース第1弾の皐月賞こそ2番人気だったが、ダービー、菊花賞と1番人気に推された。しかし、皐月賞が0秒3差の3着(勝ったのはハクタイセイ)。いまだに破られていない、19万人以上のファンが詰めかけた日本ダービーでは、アイネスフウジンに0秒2差及ばす2着。勝利ジョッキーとなった中野栄治騎手(現調教師)への『ナカノ・コール』は、日本ダービー史に残る名シーンのひとつといっていい。ラスト1冠にかけた菊花賞は、メジロマックイーンから0秒4差の3着。ついにクラシック・タイトルには手が届かなかった。

 ところが、メジロライアンが生み出すドラマにはまだまだ続きがあった。この年の有馬記念は、あのオグリキャップの引退レース。「奇跡のラストラン」といわれた一戦で、直線先頭に立ったオグリに迫ったのがライアンだった。0秒1差の2着。この場面で“競馬の神様”と呼ばれた評論家の大川慶次郎さんが、テレビ実況の中で『ライアン!!ライアン!!』と連呼したのは有名な話で、忘れられない。

 横山典は86年3月初騎乗なので、当時はデビュー5年目の22歳。まさに怖いもの知らずの若武者で、レース前のインタビューではいつも、「ライアンが一番強い。負けるわけがない」と豪語していた。ただ、ライアンのベストディスタンスは2000メートル前後。菊花賞の前には「3000メートルでは、マックイーンにかなわない。正直、ヤバい馬が出てきたと思った」と本音も語っていた。

 ライアンの全19戦のうち15戦の手綱を取ったが、2歳時に出走した、ひいらぎ賞(89年12月)の勝ちっぷりが印象に残っているという。「中山の千六で、すごい脚を使った。このイメージが強烈だったから、古馬になってからは安田記念に出てみたかった」と振り返った。91年の宝塚記念を快勝し、待望のG1制覇を果たしたが、脚部不安のため92年10月に現役を引退。引退式を行って種牡馬入りし、98年天皇賞・春を制したメジロブライト、G1・5勝牝馬メジロドーベルと、G1ホースを輩出した。

 残念ながら、メジロ牧場は2011年に閉鎖となったが、メジロアサマ-メジロティターン-メジロマックイーンによる3代続けての天皇賞制覇。史上初の牝馬三冠を達成したメジロラモーヌの功績は大きい。さらにG1・6勝馬ゴールドシップ(母ポイントフラッグの父がメジロマックイーン)、国内外のG1に6勝したモーリス(母はメジロフランシスで、その母はメジロモントレー)と、“メジロ”の血を受け継いだスターホースも登場した。

 夢物語は続く。名牝メジロドーベルの最後の子であるピンシェル(牡2歳、美浦・高橋文、父ルーラーシップ)が、10月7日の東京新馬戦(芝2000メートル)でデビュー。3番人気で6着だったものの、コンビを組んだ横山典は「おっとりした気性が素晴らしい。これもメジロの血だと思う。長い目で見てやってほしい」とコメント。同馬のオーナーは元メジロ牧場の専務で、現在はレイクヴィラファーム代表である岩崎伸道氏。500キロを超える雄大な馬体は大物感たっぷり。年明けに予定されている2戦目を楽しみに待ちたい。(デイリースポーツ・北島稔大)

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