【野球】ソフトバンク 島袋洋奨、3桁からの再出発 もう一度歓喜の涙を流す

 今オフ、ソフトバンクから戦力外通告を受け、育成選手として再出発することが決まった島袋洋奨投手(25)。3年目の今季は8月末に左肘手術を経験。復帰まで3、4カ月の見込みと診断されている。本来の姿、そして再び支配下へ-。左腕は新たな一歩を踏み出している。

 日本シリーズが行われた11月4日。島袋は2軍施設のタマスタ筑後で練習に励んでいた。「今は違和感なくキャッチボールもできています」。タオルで汗を拭いながら、爽やかな笑顔で応えてくれた。

 2010年に“琉球トルネード”でその名を世間にとどろかせた。沖縄・興南高のエースとしてセンバツVに導き、そして県勢初めてとなる夏の選手権優勝を果たし、史上6校目の春夏連覇を達成した。

 高卒でプロ入りを期待されたが、輝かしい成績を引っ提げ中大へ入学。1年春に新人開幕投手を務めるなど、将来を嘱望された。しかし2年時に左肘を故障。その後は不振を極め、通算12勝20敗の成績に終わった。

 思い出されるのはあの、運命の日だ。14年10月23日、17時に始まったドラフト会議。一足先に同学年の福田将儀外野手が、楽天から3位指名(今オフに戦力外)。会場が歓喜に包まれた中で、会見が行われた。その間中も、喜びと期待、不安の空気が交錯していたように思う。

 開始から1時間30分超。ついにその時がやってきた。ソフトバンクからドラフト5位指名だ。地鳴りのような大歓声を受け、目に涙を浮かべた島袋が別室から会見場に姿を見せた。「指名をもらって、ホッとしたら涙が出てきました。スタートに立てたので、ここから頑張ります」。夢にまで見たプロの門を、たたいた瞬間だった。

 プロ入り後は2、3軍で経験を積み、1年目の15年9月23日に1軍初昇格。見るもの全てが新鮮でそれでも浮き足立たず、全てを吸収しようと取り組んだ。「まずは雰囲気に慣れないといけないです」。巡ってきた初登板は25日のロッテ戦。デスパイネ(現ソフトバンク)からプロ初三振を奪うなど堂々の無失点デビューだった。

 だが、ここ2年間は1軍マウンドから遠ざかり、あの日から3年、非情宣告を受けた。

 「(通告された後の)2日間はショックがありました。でも2年、1軍で投げていないのでそんな予感はしていました」。現実を受け止めるしかなかったが、救いの手を差し伸べた先輩がいた。

 「ショックはあったけど、(同日に通達された)大隣さんが『明るく行こう!』と声をかけて下さって。それで吹っ切れたというか」。黄色靱帯骨化症を乗り越えた実績十分の左腕からの言葉で、気持ちを切り替えられた自分が居たという。

 それと同時に球団から育成契約の話を受けた。「来年1年勝負しよう、やってやろうと前向きになれた」。3桁の背番号からの再出発。もう一度、歓喜の涙を流してみせる。(デイリースポーツ・疋田有佳里)

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