【芸能】意外なことをヒントにヒット曲を生み出した平尾昌晃氏

 日本を代表する作曲家・平尾昌晃さんが、肺炎のため22日に死去した。もともとロカビリー歌手として人気だったが、その後は本格的に作曲家の活動も始めた。

 世に送り出した曲は多数。「グッド・バイ・マイ・ラブ」(アン・ルイス)、「よこはま・たそがれ」(五木ひろし)、「夜空」(五木ひろし)、「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)、「銀河鉄道999」(ささきいさお)、「霧の摩周湖」(布施明)、「アメリカ橋」(山川豊)。後世に歌い継がれている名曲も多い。

 そんなヒットメーカー・平尾氏は、時に正攻法ではない独特な感性から、ヒット曲のメロディーを生み出していた。

 代表的なのは「よこはま・たそがれ」(1971年)。作家・山口洋子さんが、五木ひろしの再デビューのために作詞した楽曲だ。以前、本人から聞いた話だが、実はこの時、山口さんから渡された作品は8編あったという。その中の1つが「あの人は行ってしまった」(のちに改題)というタイトル。

 「なんだこれ?」。読んだら「よこはま」「たそがれ」「ホテルの小部屋」…。単語の羅列。「冗談でやっているのかと思った」と思ったが、妙に印象に残った。

 とはいえ、作曲するには難しい。頭を抱えてしまった。もう一度、歌詞を読んだ。言葉が流れるように続かない。間が空く。「何かに似ている?」そう思ったという。

 もともと湘南育ち。当時は東海道線に乗り東京と湘南を往復することもあった。それで、ふと頭にわき上がったきた言葉が駅員さんの「横浜~!横浜!」のアナウンスだった。さらに「大船~!大船~」。「鎌倉~!鎌倉~!」とも。

 「これだ!よし分かった」とひらめいたという。

 「この歌詞は、名詞の間に、空いた間(ま)がある。それを駅員さんのアナウンスのように、間をつくればいいんだと。メロディーに乗せていけばいいんだ」。こうして名曲を生み出した。

 同じようなエピソードが、1998年の「アメリカ橋」にもあった。この楽曲を歌う山川豊は、完成までの経緯を明かした。

 数々の名曲を生んだ作詞・山口洋子さんとの久々にコンビ。山口さんの詞は完成していたが、平尾氏はなかなか納得いく曲ができなかった。妥協せず徹底的に曲作りに励み12曲ほど作曲したが、いずれも採用されなかった。

 行き詰まった平尾氏は、山川を連れてカラオケに出向き、ひたすら歌わせた。ただ「演歌でなくポップスの曲だけ」という条件付きで。

 本業以外の曲ばかりを歌わせる荒技。山川は郷ひろみ、安全地帯の曲などを歌った。そして井上陽水の「リバーサイドホテル」を歌い終えた時、平尾氏は「よし分かった!」と、突然大声を上げた。その直後に大ヒットしたこのメロディーが生まれた。「“リバーサイドホテル”だったのか、ヒントは意外なところにあったのでしょうね」と山川も懐かしそうに振り返った。

 そんな幅広い感性からヒット曲生み出していた偉大な作曲家。その死は本当に惜しまれる。(デイリースポーツ・栗原正史)

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