【野球】タイトル獲ったのに年俸ダウン…過去にはこんな選手も

 ソフトバンクの柳田悠岐外野手が最高出塁率のタイトルを獲得しながら、500万減の2億6500万円で更改した。今季は打率・306、18本塁打、73打点。トリプルスリーの昨季に比べれば数字は下がっているが…。今回のように、過去にタイトルやリーグトップの数字を残しながらダウン提示を受けた例を振り返る。(金額は推定)

 1972年オフ、近鉄・鈴木啓示は交渉の席で“大荒れ”したという。その年は14勝15敗で防御率3・42。180奪三振はリーグトップだった。21勝した前年に比べれば、それぞれの成績は劣っているが、問題視したのは“減額幅”。ちなみに当時は最多奪三振の連盟表彰はなかった。

 12月18日に行われた初交渉。球団から提示された金額は、400万ダウンとなる1400万円。22%減となり、当時のデイリースポーツ紙面には「鈴木 400万減に激怒」「金なければトレードを」との見出しが躍る。同26日の第2回交渉で200万減の1600万でサイン。200万の“上積み”を勝ち取り「譲歩してくれたのでうれしかった」とのコメントが掲載されている。

 81年12月11日付の紙面では、12年連続盗塁王の阪急・福本が、100万減となる4100万円の提示を受けて怒った、とある。入団14年目で初のダウン提示。たばこを吸いながら不満げな表情を浮かべる写真が強烈だった。この年の福本はベストナインやダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)にも輝いた。ただ、球団から伝えられた減額理由は“守備力の低下”だった。しかし、第2回交渉では一転して態度を軟化。同23日の交渉後に「イメージを壊したらいかん」と話す福本の様子が伝えられていた。

 近年では、02年に2年連続盗塁王となった阪神・赤星が400万減の3600万円の提示を受けた。試合中に右足を負傷し長期離脱。公傷扱いと、盗塁王の価値の見直しを球団に求めて保留した。越年となり、03年1月22日に300万ダウンの3700万円でサインした。

 12年には最多セーブの中日・岩瀬が8000万減の3億7000万円でサイン。54試合の登板で1勝3敗33セーブ、防御率2・29だったが、抑えに失敗することもあり、8月に再調整のため2軍落ちしていた。1年通して活躍できなかったことが響いた。(デイリースポーツ・折原良輔)

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