五十嵐カノア 生まれる前から始まっていた五輪物語 名前に込めた父の思い

 「東京五輪・サーフィン男子・決勝」(27日、釣ケ崎海岸サーフィンビーチ)

 競技初の銀メダリストの目を涙がつたった。東京五輪新種目のサーフィンで、男子決勝は日本エースの五十嵐カノア(23)=木下グループ=は、19年世界王者のイタロ・フェレイラ(ブラジル)に敗れ、銀メダル。目標だった金メダルには届かず涙に暮れた。女子は都筑有夢路(あむろ、20)が銅メダルを獲得。台風8号の影響で荒れ狂う海で、日本勢2人が表彰台に登った快挙だった。

 「ハワイアンにも分からないぐらいの存在になってくれたら」-。親子の五輪物語は、カノアが生まれる前から始まっていた。父・勉さんは1995年、まだ見ぬ子供をサーファーにするために渡米。1997年に生まれた息子にはハワイ語で「自由」を意味するカノアと名付けた。

 「ハワイはカリフォルニアと日本の中心で、サーフィンの聖地。将来子供にサーフィンをさせて、いずれは(ハワイの)パイプライン(チューブ状の波)でサーフィンをさせる。ローカリズムが強いエリアなんで、『カノア』ってハワイアンネームをつけとけばカモフラージュになる」

 思惑通り、カノアが3歳になると、誕生日祝いでハワイに旅行。マウイ島で軽く波に触れさせ、興味を持たせてからオアフ島に移動した。

 「あまりお金に余裕はなかった」が、アラモアナ付近のサーフショップでボードをクレジットカードで購入。海に入った息子は、最初の挑戦でボードの上に立った。「そーっと立たせて。何回も何回も、小さい子供が滑り台を滑るような感じで」。カノアは「『もう1回』って。そこから始まった」

 米国での生活は苦労が続いた。英語も満足に話せないまま渡米したが、2001年には同時多発テロがあり、08年にはリーマンショックに襲われた。「どん底ですよ、アメリカ。車のローンも払えなくなって、夜に車を取りにこられたりした」。職を失うこともあったが、息子のサポートの手は緩めなかった。

 カノアは16年に念願のCT入り。初年度からハワイのパイプラインで行われた試合で決勝に残った。ビーチからは「カノア!」「カノア!」。大歓声に「自分の思ってること以上のことになっちゃってるなって(笑)ほんとすごかったですね」と目を細めた。

 夢にまで見た初舞台では、惜しくも銀メダルだった。カノアは「小さい頃からサポートしてくれたことは一生ありがたいので…」と言葉を詰まらせた。父と息子の物語は、これからも続いていく。

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