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元日本ハム投手の工藤幹夫さんが死去

プロ入り初登板した日本ハム・工藤幹夫投手=1979年4月12日、後楽園球場
大沢啓二監督(左)に迎えられる工藤幹夫さん=1982年7月3日、後楽園球場
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 元日本ハム投手の工藤幹夫(くどう・みきお)さんが肝不全のため13日午前1時40分、秋田市内の病院で死去した。55歳だった。通夜は17日午後3時から、告別式は18日午後1時から、いずれも秋田市山王2丁目4-15の秋田典礼会館セレモで行われる。喪主は長男の工藤壮史(くどう・まさふみ)さん。

 工藤さんは秋田県立本荘高から1978年度ドラフト2位で日本ハム入団。プロ1年目の79年には開幕4戦目で先発した。ドラフト制後の高卒新人としては、当時の最速先発タイ記録だった。

 82年には14連勝をマークするなど、20勝4敗で最多勝、最高勝率、ベストナインに輝いた。しかし右肩を痛め、87年には練習生となり、88年に内野手に転向したが、同年シーズン後に自由契約。実働5年で通算30勝22敗、防御率3・74だった。

 有名なのが、82年10月に行われた西武とのプレーオフ。工藤さんは約1カ月前に右手小指を骨折。全治4週間と発表されており、プレーオフの登板は絶望的だと思われていた。ところが第1戦に“奇襲”先発。当時の大沢啓二監督の指示でマスコミはもちろん、チーム関係者にも知られぬよう極秘調整していたのだった。

 工藤さんは6回0/3を無失点と好投。勝敗は付かずチームは敗れた。しかし第3戦は完投勝利を挙げている。

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