天国のアイクさんとド軍を見守りたい

 1988年以来のワールドチャンピオンを狙うのがロサンゼルス・ドジャースだ。

 現在、ナ・リーグ西地区で74勝を挙げて(24日・現地時間)トップに立っている。

 ドジャース、言うまでもなく西の名門チームだ。95年には野茂英雄投手が「NOMO旋風」を巻き起こし、日本人選手がメジャーに進出するきっかけとなった。

 59年、ニューヨーク州・ブルックリンからカリフォルニア州ロサンゼルスに移転して以来、9度のリーグ優勝を果たしている。

 59、63、65、81、88年に5度の世界一制覇を達成している。(注・移転前の55年にも世界一となっている)

 その功労者の1人がわたしのアメリカでの活動を支えてくれた恩人でもある、今は亡きアイク生原(本名・生原昭宏)さんだ。わたしとは実に縁の深い球団なのだ。

 彼はわたしの通訳時代に上司だった森茂雄さんの教え子だった。早稲田大学を卒業後、母校で野球部の新人監督(レギュラーチームではなく、1、2年生主体のチーム)を務め、さらに亜細亜大学でも監督を務めた。

 その後、65年に単身渡米してドジャースのウォルター・会長を訪ね、ドジャース傘下の3Aスポーケンでクラブハウスのボーイから球団運営の修行に取り組んだ。

 最初は二流の安ホテルに泊まり、球団幹部の下着の洗濯を率先してやったという。もっともこのあたりはいかにも実力主義のアメリカらしい。

 門戸をたたく者には機会を与えるが、その代わり、どんな肩書の人物でも一から修行させる。そして修行に耐える力のある者だけに将来が開かれる。

 わたしはこのアイク生原さんの生き方を尊敬し憧れていたこともあって、わたしがアメリカで仕事をするようになってからはずっと文通を続け、アメリカの球界事情などを教えてもらっていた。

 その後、彼は努力のかいもあってとんとん拍子に出世を果たし、最終的にはピーター・オマリー、ドジャース会長の補佐役まで登りつめ、実力主義のアメリカで成功した。その過程で、わたしはオマリー会長をはじめ何人もの有力な人物を紹介してもらった。

 わたしはこのアイク生原さんにベイスターズのGMを引き受けていただきたいと思い、オマリー会長を訪ね懇請したことがある。会長は「彼の好きなようにさせる」と言ってくれたが、アイクさんは「自分はドジャースに身体を埋めるつもりだ」と固辞された。

 その後アイク生原さんは92年にガンで55歳の若さでこの世を去った。ロサンゼルスの病院を訪ねたとき「こんな姿になって申し訳ない」と逆に謝られた姿は今も記憶に鮮明に残っている。

 現在、指揮を執るドン・マッティングリー監督(53)は4年目になる。今年1月に球団と新たに契約を結び、2016年まで監督を務めることになった。

 現役時代はヤンキースのスター選手だった。85年にはリーグMVP。現役時代の背番号「23」はヤ軍の永久欠番で、超一流の一塁手だった。

 昨季はナ・リーグ優勝決定シリーズで敗退した。投手陣の軸は現役NO・1の左腕クレイトン・カーショウ投手(26)だ。

 メジャートップの15勝(3敗)、防御率1・82を誇る。6月18日にはノーヒットノーランを達成し自身最多の15三振をマーク。2度のサイ・ヤング賞を受賞している。

 主砲はエイドリアン・ゴンザレス内野手(32)だ。23日のメッツ戦では18号3ランを含む5打点を挙げた。ディー・ゴードン内野手(26)は抜群の機動力を発揮して、トップの57盗塁だ。

 ここ2年の大型補強で、まだまだタレントはたくさんいる。ポストシーズン進出どころか、世界一が狙える態勢だ。名門、完全復活なるか。天国のアイクさんとともに見守りたい。(デイリースポーツMLB解説委員・牛込惟浩)

  ◇  ◇

 牛込惟浩(うしごめ・ただひろ)1936年5月26日生まれ、78歳。東京都出身。早稲田大学を経て64年、大洋ホエールズに入団。渉外担当としてボイヤー、シピン、ポンセ、ローズなど日本球界で大活躍した助っ人たちを次々と獲得し、その確かな眼力でメジャー球界から「タッド」の愛称で親しまれた。2000年に横浜ベイスターズを退団。現在はデイリースポーツMLB解説委員。

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