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星稜・山下総監督&西谷監督対談【2】

 2016年、高校野球は次の100年が始まる。デイリースポーツでは評論家の山下智茂氏(70)=星稜総監督=が全国を旅し、次世代の高校球界を考える新企画をスタート。第一弾は春夏連覇など監督として自身4度の甲子園優勝を成し遂げた大阪桐蔭・西谷浩一監督(46)を直撃した。生駒山地の自然に囲まれた大阪府大東市の同校では、山での走り込みや神社の階段登りなど昔から変わらない冬場のトレーニングが繰り広げられていた。練習を初視察した山下氏が強さの秘密に迫った。(取材、構成=編集委員・船曳陽子、重松健三)

  ◇  ◇

 -練習試合も多くこなすとか。

 西谷監督(以下、西)「近くに太成学院、生駒の山には大産大付、近大付、興国さんもグラウンドがあります。ですから11月の平日はお願いして週5回くらい練習試合しました。今回は特に神宮大会に行っていたので、全員に50打席渡すから結果出せと言って。学校のナイター照明なんでちょっと暗いですけど、12月になったら規定でできないので夜までやっていました。(部員数が)今は(1、2年生で)43人くらいなんで、みっちり練習できます。春から60人ちょっとになります」

 山下監督(以下、山)「神宮では優勝しない(昨秋の明治神宮大会では準決勝敗退)のに、なんで甲子園で優勝するの?鍛えているチームは夏に強い。大阪桐蔭は夏4度、春1度優勝。やはり夏強いと本物だよね」

 西「実は僕が初めて監督になって自分で練習試合を組む時に、まったく面識のない山下先生に突然電話したんです。中村剛也(西武)が1年生の時(1999年)。怖いもの知らずで、学校の電話番号調べて。それで、行かせてもらったら試合の前日にホテルの部屋の電話が鳴って、一緒に食事しようと誘っていただいて。びっくりしました」

 山「僕も初めて監督になって、中京とか東邦とかに本当に震えながら電話したものです。どこの学校や?聞いたことねえな、なんて言われてね。甲子園でベスト8になった学校と生徒たちがやりたいと言うから申し込んだらダメ、全部決まってますからと。カチンときて、それからどんなチームでも練習試合はOKしろと部長に言ったんですよ」

 西「今でも覚えていますが、桟原(元阪神)が調子が悪くて、別の制球のいい投手で秋の大会にいこうかと試合前に山下先生にもお話していたんです。そして、練習試合の六回無死満塁のピンチで桟原を出したら3者三振。試合後には山下先生から、お前だましただろうって(笑)。でも、この投手でいかないとダメだと言われて僕も踏ん切りがつき、桟原はそこから復活したんです。1年の中村もその時に本塁打を打って、2試合目は岩田(阪神)が高校初先発でした」

 山「甲子園で勝つためには、抑える投手じゃないとダメだね。かわす投手じゃダメ。日本一になるためには。僕にとってはプロ野球第1号が小松辰雄。1年の時に『お前、何しにうちに来た?』と聞いたら『僕はジャイアンツの背番号18番がほしくて星稜に来た』と。わかった、じゃあプロ野球に入れようと1年間全部ストレートで勝負させた。ボールのキレで勝負する投手にすると、1年間真っすぐだけ。2年生になって初めて変化球。でも、1人対してカーブ1球と約束した。そうしたら投球術を覚えるよね。3年生になって何投げてもいいと言ったけど、真っすぐとカーブしか投げなかった。一流にするためには細胞を変えていかないと。ああせいこうせいとしたらダメ。僕は型にはめるのは嫌い。そういう意味では、大阪桐蔭は個性派が多いよね」

 西「藤浪もそうですね。あれだけの背なんで」

 山「頭のいい子じゃないとダメだね。野手も投手も」

 西「森も機転は利きます。学業はありませんけど(笑)」

 山「今は、プロで活躍する選手は大阪桐蔭、横浜が多い。オフには皆が学校に帰ってくると聞くけど」

 西「ほとんど全員ですね。後輩のためにありがたいです。大阪桐蔭はまだ30数年で、一番足りないのは伝統なんです。伝統校に追いつくことはできないけど、OBが何かを持って帰ってきてくれたら、伝統ある学校と勝負できる。卒業の時に言うんです。1回でも多く帰ってきてくれと」

 山「監督の人柄だよ。普通はそう帰って来ない」

 西「(昨夏の大阪大会初戦)履正社の時は西武の3人(中村、浅村、森)と藤浪が来ました。セーフティースクイズで得点したら、あいつらから消極的な采配だと言われて(笑)」

 山「私もそうだったけど、若い時は苦労したでしょう」

 西「(監督)1回目は中村のいた3年間で、甲子園には行けませんでした。当時はPL学園ばかりです。九回2死までいきながらPLに勝てなかったことが何回もあります。技術だけでなく精神的にも本当にしぶといチームでした。PLのことばかり考えていました。どうやったら勝てるやろうって」

 -スカウティングも難しかった。

 西「もちろんです。当時はPLに一番いい選手が行っていました。今江君(楽天)がスーパースターで何度も通ったんですけどダメ。それで獲ったのが中村です。朝井君(元巨人など)にずっと通ってダメで岩田を獲った。桜井君(元阪神)とかたくさんいた時代で、その1つ下が西岡(阪神)。彼が来て少し変わった」

 山「というと」

 西「あいつはとにかくPLに行きたかった。僕が行ったら『僕はPLしかいかない』とはっきり言ったんです。でも、僕は絶対に西岡がほしかった。生意気に見えるけど、あれくらい勝ち気じゃないとPLには勝てないと思った。結果、西岡はPLに行けず、私が飛んで行ったら顔を上げずに涙をボロボロ。しゃべってもくれない。PLを倒したいけど一緒にやらへんかと言って、ようやく『お願いします』と。彼がいた3年間はPLに一度も負けませんでした。ただ、西岡自身はPL戦でノーヒット。カリカリしてばかりで。そこからチームはちょっとずつPLにも勝てるようになりました。そこでうちの潮目が変わったみたいな感じ。その後も勝ったり負けたりだけど、ちょっとずつ勝てるようになりました。西岡は生意気に見えますけど、そういうふうにして自分を鼓舞するタイプ。本当は優しいんですよ」=続く

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