【ボート】安岐真人さんが本紙評論家を勇退 瀬戸の大魔神にはこの20年間いろいろ教わった
「レース記者コラム 仕事・賭け事・独り言」
まず競輪の話題から。64期で在校成績8位の長谷隆志(57)が11月29日の玉野競輪最終日2Rチャレンジ一般でラストラン。4着でゴールして、36年3カ月の選手生活にピリオドを打った。記者とは同学年で気が合ったので、検車場ではよく話をした。15年ほど前「森田さんに合う店がありますよ」と教えてもらって行ったのが、大阪千日前にあった立ち呑み「たまやん」。当時は漫才師の若井たまるさんが経営しており、松竹芸能の芸人がよく顔を出すことで有名だった。記者もたまるさんと顔見知りになり、いろんな芸人と話をすることができた。海原はるか、朝起太郎、浮世亭小吾など…。たまるさんは鬼籍に入り、現在は店の常連だった女性が別の場所で「たまやん」を引き続き経営している。いろんな人々と知り合いになれたのは長谷のおかげ。今後は彼が経営しているは和バルケヤキ(倉敷市中畝)へ、岡山県内で仕事をした際に訪れることにしよう。
そしてボートレースの話題へ。2005年から本紙評論家として活動していた安岐真人さん(80)が、21日まで開催していたグランプリ(住之江)で勇退することになった。記者は当時ボートレース担当で、安岐さんが最初にSGで予想したグランドチャンピオン(下関)に同行した。
現役時代の安岐さんには声をかけづらかった。鋭い目つき、濃い眉とヒゲ。記者は全く正反対なので、恐れ多くて近づけなかったが、いざ取材で声をかけると、優しい対応。当時のことを尋ねると「記者には一言だけでもエエからしゃべろうと思うとった。カッコつけてしゃべらんかったりしたら、しつこく聞かれるやろ。それがイヤやったんや。『まあまあやな』でもエエから、少しでも言葉を発したら記者は記事にするんやから」と笑ったことを思い出した。
最近の記者は競輪取材が中心で、ボートのSG取材に出ることが少ない。だが、安岐さんが評論家として最後のグランプリに、記者は仕事として入ることができた。「新吾、今までありがとうな」。最後に声をかけてもらえたことがとてもうれしかった。安岐さんは公務員からボートレーサー、記者も公務員から転身したので、勝手に親近感を持って接していた。この20年間はボートレースについていろいろ教わりました。今後はゆっくりしてください。でも、またグランプリだけでもいいので、評論家に復活してほしいです。仕事の合間には安岐さんが好きなメジャーリーグのことも語り合いましょう。(関西競輪、ボート担当・森田新吾)




