80年の歴史で初、国政選挙で議席ゼロの社民党…福島党首「威勢いい」高市首相を危惧、ラサール氏は雪辱期す
自民党の「一人勝ち」に終わった衆院選で、社民党は1945年に結成された前身の社会党時代を含め、80年の歴史において国政選挙で初めてとなる「獲得議席ゼロ」に終わった。党勢の低迷が続く中、8日夜の開票を受けて行われた会見で、福島瑞穂党首(70)とラサール石井副党首(70)がそれぞれの思いを吐露した。
昨年11月に唯一の衆院議員だった新垣邦男氏(現・中道)が離党。前職不在のまま、今回の衆院選には15人(選挙区8人、比例7人)を擁立したが、いずれも当選はかなわなかった。自民党の圧勝を伝える報道に「正直、ショック」と切り出した福島氏は、今後さらに盤石の体制となる高市政権の「暴走」を危惧。石井氏は「若者が自民党に投票している」という傾向を憂慮し、SNSなどを駆使した広告戦略のできる大政党の在り方を問題視。両者は「裏金議員のみそぎは済んでいない」との意見でも一致した。
とはいえ、有権者の多くが自民党を支持したことは厳然たる事実。その要因について、福島氏は「きっぱりものを言うふうに見えること。ハキハキしているとか、毅然とした態度をしているとか、頼もしいとか、自分の不安の解消になるとか、『よくぞ言ってくれた』と(思わせてくれる)という面で支持されているんじゃないかと思っています」と、高市早苗首相の“分かりやすいスタイル”が支持されていることを指摘した。
その上で、福島氏は「発信はしているかもしれないけど、(NHK)『日曜討論』には出ない、国会での論争などもない。高市さんという人は対話や論争が苦手で、一方的な発信で選挙を勝とうとしているのだと思っています。その勢いの良さそうな発信が『はっきり言ってくれる』『頑張っている』というふうに見えているのかもしれません。隣国に対してもはっきり言っていると…。でも、それは戦争への道になる。第2次世界大戦中も『きっぱり、はっきり、威勢がいい』という方にみんなが拍手を送っていたのと似ているんじゃないでしょうか。それは危ないと思います」と付け加えた。
都内の民間ビル内にある党本部の入口には浅沼稲次郎氏の胸像が置かれている。1960年10月12日、東京・日比谷公会堂で演説中、乱入した当時17歳の右翼活動家に刃物で腹部を刺され、在職中に61歳で死去した社会党の元委員長だ。台座には詩人・草野心平さんによる「未来のために」などと記されたメッセージが刻まれていた。その像の存在は社会党の歴史を受け継ぐ政党であることを示していた。
社民党に改称した96年に村山富市氏、土井たか子氏が党首を歴任。当時、衆参両院の議員数は100人近かったが、昨年7月の参院選では政党要件を失う危機に瀕した。石井氏の比例当選で得票率2%の条件をわずかに上回って国政政党に踏みとどまったが、古希を迎えた参院議員2人という状態は続く。
今後に向け、福島氏は「もう、待ったなしで戦いが始まる。国会の中で憲法改悪、スパイ防止法を作るという“暴風雨”が荒れくるうと思っています。数が少なくてもたくさんの市民と共に抵抗する運動を全国的にやらないといけないと思います」と語り、「大学生が学費値上げ反対だったり、外国人の人権の問題だったりで応援してくれているという面もあるんです。そこに期待しています」と“少数派”でも若い力に思いを託した。
石井氏は自身の公設秘書で27歳の新人として今回の衆院選で大阪9区に出馬した西尾慧吾氏に言及。「灘高→東大→米エール大」という経歴も注目される中、維新、自民の候補に次ぐ3番手の3万493票で落選したが、得票率14・4%と健闘した。石井氏は「彼から連絡があり、明日、大阪で辻立ちをすると言っておりました。そうやって戦いは始まっていく。私たちも党の体制を整えて次の選挙に走っていかないといけない」と世代交代を含めて雪辱を期した。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)
