『鎌倉殿』実朝暗殺に「黒幕」はいない!? 公暁の“思い込み”単独犯か 三浦義村は将軍の死に「涙」の説

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第44回「審判の日」では、鎌倉殿への野心に燃える公暁(寛一郎)が三浦義村(山本耕史)のもとを訪れ、鶴岡八幡宮で執り行われる拝賀式について密談を交わす場面が描かれました。しかし、果たして2人に実朝暗殺の密談はあったのでしょうか?

 1219年1月27日は夜になり、雪が降り出します。その雪は、鎌倉において、60センチも積もったようです。この日は、鎌倉幕府の三代将軍・源実朝が右大臣に任命された事を報告する、拝賀式が鶴岡八幡宮で行われます。参拝は、午後6時頃。路地には、警護の兵が多くみられました。

 『吾妻鏡』(鎌倉時代後期に編纂された歴史書)によると、お供をしていた北条義時は、八幡宮の楼門を入る時に、突然、気分が悪くなったようです。そこで、持っていた将軍の太刀を源仲章に預けて自身はその場から引き下がります。最終的には、小町の邸へと帰ったようです。そうしたちょっとしたハプニングがありつつも、実朝の神への参拝の儀式は、夜遅くなり、無事に終了。実朝も引き下がろうとします。

 しかし、石階の脇には、1人の男がひっそりと佇んでいました。公暁ー鶴岡八幡宮の別当です。公暁は、引き下がろうとする実朝を、刀で殺害してしまいます。「父の仇を討ったぞ」と叫びつつ。公暁の父は、二代将軍だった源頼家。頼家はトップの座から引きずり下ろされ、伊豆修善寺へと追放、北条氏の手の者により惨殺されます。

 頼家の後継となったのが、その弟で未だ年少の実朝でした。よって、実朝に頼家殺害の罪はないのですが、公暁は父の後を襲った実朝に理不尽な怒りを募らせていたのでしょうか。将軍暗殺という一大事。武士たちは、八幡宮の雪ノ下にある御坊に、公暁が潜んでいると見て、攻めかかります。公暁の門弟たちは、必死に防戦したようですが、敵わず。肝心の公暁は、そこにはいませんでした。

 後見人・備中阿闍梨の邸(雪ノ下の北谷)にいたのです。阿闍梨から公暁は食事を勧められますが、食事の最中も、公暁は討ち取った実朝の首を離さなかったとのこと。公暁は、そこからある者に使いを出します。乳母の夫である三浦義村に使者を派遣し、「今は将軍の席が空いている。次は、私が関東の長になる順なので、早く方策を考えて、まとめよ」に伝えたのです(ちなみに義村の息子の駒若丸は、公暁の門弟でもありました)。

 義村は、この知らせを受けて、実朝の死を知り涙を流したようです。そして、義村は「私の邸に来てください。迎えの兵を遣わします」と公暁に知らせようとします。その上で、義村は北条義時には使者を派遣。義時から義村には、公暁を殺せとの命令が下ります。義村は討手を遣わし、その討手は義村の邸に向かおうとしていた公暁に組み付き、ついにその首を刎ねるのです。公暁の首は、北条義時の邸に届けられます。三浦義村には、実朝暗殺の黒幕ではないかとの嫌疑がかけられています。

 しかし、『吾妻鏡』の記述を見ると、義村と公暁の間に、しっかりした協調関係があったようには見えません。公暁の方が、一方的に、乳母夫である義村は、自分に味方してくれると思い込んでいたように思います。2人に実朝暗殺の密談はなかったのではないでしょうか。

(歴史学者・濱田 浩一郎)

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