鎌倉殿・源頼朝 20歳と14歳で亡くなった2人の娘 悲劇にまつわる謎 墓はどこにあるのか

 今回は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の登場する源頼朝の娘2人にまつわる謎を追う。

 征夷大将軍の娘ともなれば、その墓所も立派なものが多い。徳川2代将軍・秀忠の娘で、豊臣秀頼の妻だった千姫の墓所は全国に数カ所あるが、もっとも有名なのは京都・知恩院勢至堂の奥の墓地にある大きな霊塔で、墓碑には複数の三つ葉葵の紋が彫られている。

 ところが、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の2人の娘に関しては、その場所さえも定かになってはいない。頼朝に、大姫とも一幡とも呼ばれる長女と乙姫または三幡とも呼ばれた次女がいたことは知られている。頼朝と正妻・北条政子との間に生まれたこの2人は、まさに悲劇のヒロイン姉妹だった。

 当時、6歳だった大姫は父・頼朝のいとこである朝日将軍、木曽義仲の長男で11歳の義高と婚約した。ところが、頼朝と義仲が対立。争いとなり義仲は敗死し、義高も殺害されてしまう。婚約者だった義高の死に幼少だった大姫は心を病み、その後の縁談も拒み続け、後鳥羽天皇への入内(じゅだい)の話も実現することなく20歳で早世しまったという。

 この大姫の墓所と伝わる場所が、神奈川県鎌倉市大船にある臨済宗建長寺派の「粟船山常楽寺」の裏山中腹にある。今回、JR大船駅から徒歩15分の「常楽寺」を訪れたが、大姫の墓とされる「粟姫稲荷 姫宮の墓」の先に、木曽義高が眠るとされる木曽塚もある。双方ともに質素なものだが、現世で添い遂げられなかった2人は死後、一緒になれたと信じたいところである。だが、実際のところ、ここが大姫の墓所であるという証拠は存在していない。

 この大姫の守り本尊と伝えられている石造地蔵尊を祀る場所は、古都・鎌倉の扇ヶ谷にある「岩船地蔵堂」と言われている。ところが、この「岩船地蔵尊」には、ちょっとしたミステリーがある。石造地蔵尊の前に置かれている木造地蔵尊の胎内にある銘札には、大姫の名前ではなく「源頼朝の息女の守り本尊」としか書かれていないため。つまり、乙姫の守り本尊である可能性もあるからだ。

 この乙姫も謎に包まれている。鎌倉時代の半公式文書『吾妻鏡』には次のような話がある。死去した大姫の代わりに、後鳥羽天皇への入内の話が持ち上がっていたが、にわかに高熱を発し建久十(1199)年6月30日(6月24日)に死去してしまった。まだ14歳だったという。天皇家へ輿(こし)入れする話があった人物にもかかわらず、この乙姫の墓所も特定されていない。

 遺体は「鎌倉殿の13人」の一人で、頼朝の側近・中原親能の亀谷堂の傍らに埋葬されたという。そのため、「岩谷地蔵堂」こそが、乙姫の墳墓堂だったという説も残っている。いったい大姫、乙姫はどこに眠るのか。これも鎌倉時代のミステリーのひとつである。

(デイリースポーツ・今野 良彦)

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