苅谷俊介 故渡哲也さんについたうそ…今も残る「アニイ」への悔い

 穏やかにほほ笑む苅谷俊介に「カメラをにらんで下さい」と表情一変=神奈川県秦野市
 俳優として脂が乗り切っていたころ(本人提供)
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 昭和の大ヒットドラマ「西部警察」で刑事「ゲンさん」の愛称で親しまれた俳優、苅谷俊介(74)が「アニイ」と慕ってきたのが故渡哲也さんだ。同ドラマでも共演した。苅谷は俳優として成功するも考古学に熱中し、所属していた石原プロを辞めて本気で取り組むことを決めた。しかし、考古学のために辞めると言えず、渡さんには「独立して自分の力を試したい」と嘘をついた。年月を経て再会。渡さんの言葉に苅谷は嘘を悔やんだ。

 -苅谷さんが「アニイ」と慕った渡さんが昨年8月に他界されました。渡さんとの出会いを。

 渡さんが映画「さらば掟」を松竹で撮ったんです(舛田利雄監督、1971年公開)。その時に共演させてもらったのが出会いです。当時、僕はまだ役者では食えなくて看板屋で働いていたんです。ご自宅の電話番号を教えていただいたので電話をして「看板屋の仕事が終わったんです」、「じゃあ、すぐ来いよ」って。汚れた作業着のままうかがいました。芝生に寝っ転がっていろんな話をしました。まったく気さくな方で「いつでも電話しろ」と言って下さったので何回もお邪魔しました。その頃から「アニイ」と呼べるようになりました。71年からだから半世紀です。もうアニイと呼べる人がいない。寂しいです。

 -それこそ数え切れない思い出が。

 本当にかわいがって下さいました。でも、一時期、まったく連絡をとらない時があったんです。僕が石原プロを辞めた時です。考古学を勉強したくて辞めたんです。考古学をやりたいから事務所を辞めるなんて理由にならないんで、僕は「独立して自分の力を試したい」と嘘を言いました。アニイは何度も引き留めてくれました。「給料安いのか」「そうじゃないです。自分の力を確かめたいんです」。最終的に「分かった」と。それで考古学の現場に踏み入れました。ある程度マスターしたころ、僕は大分の発掘現場にいたんです。ちょうどアニイが撮影でいらっしゃっていたんで、発掘現場から地下足袋のままロケバスを訪ねたんです。何年ぶりでしたかね。「苅谷です!」って挨拶したら、返ってきた言葉が「あ、苅谷さん、どうぞ」。ガラッと…。もう自分の中で僕との関係を切っちゃってるんですね。そのときはすーーーごい寂しかったです。

 -何年ぶりで。

 考古学をある程度指揮できる立場になってからですから41歳くらい。6年ぶりくらいの再会でした。

 -久しぶりなのに歓迎どころか「苅谷さん」と突き放された。

 ええ、もう完全に。昔だったら「おお、カリ!」だったのに。僕はそのつもりで行ったんですけどね。僕の中では今もアニイに嘘をついたという悔いがあるんです。石原プロを辞める時に正直に理由を言っておけば良かったというのが。

 -渡さんも、苅谷さんが考古学に真剣に取り組んでいるのを伝え聞いて「これが石原プロを辞めた本当の理由だったんだな」と思ったのでしょうね。

 そうでしょう。何もおっしゃらないですけど「なぜ本当のことを言わなかったんだ」というのがあったんだと思うんです。僕との間に深ーい溝ができて。「苅谷さん、どうぞ」って言われたときはね…。全部、自分が悪いんです。

 -渡さんにしたら、本当のことを言ってくれなかったことが寂しかった。

 そうですね。俺はそんな男じゃないだろう、お前、分かってんだろうっていうのが本音だと思います。大分で再会後、すぐに僕はご自宅に電話するようになって。お会いしたときに「実は」と考古学をマスターしたかったという話をしました。その時も昔には戻って下さらなかったです。2回目くらいで「カリ!」って出てきて(笑)。「お前はもう石原プロの人間じゃないけど、お前だけはしょっちゅううちに来ていいよ」って言って下さった。

 -久しぶりに「カリ」って呼んでもらったときは。

 うれしかった!それからちょくちょくご自宅にうかがうようになって。2週間くらい行かないとアニイが電話をくれて「どうかしたのか、お前」って気にかけてくれたり。昔の関係に戻ってくれたんです。

 -何度か渡さんを取材しました。「男らしい」という言葉が本当に似合う。

 東日本大震災の時のことです。石原プロは1週間ほど炊き出しに行きました。夜は寒いから皆、バスで寝るんです。あの人だけは薄いマットを道路に敷いて寝袋で寝るんです。当時、体は既に良くなかったんですよ。

 -なぜそのように。

 そうしないと被災者の方と同じ気持ちになれないっていうのがあるんでしょう。炊き出しの時は笑って。そういう考え方があの人の男らしさを作ってるんです。本当に頭が下がります。震災後の節電が求められている時にはこんなことがありました。小樽に裕次郎記念館がまだあった時で、僕が記念館に行った時に館長から「渡さんに」とロールケーキを預かったんです。羽田空港に着いてアニイに電話をしてからうかがったんです。いつものように奥さんが出てきて中に入れてもらって。僕は絶対に応接間には行かないでキッチンに行くんです。そしたら真っ暗な中にぽつんとアニイが座ってるんです。「どうしたんですか」「カリ、みんな暗い中で苦労してるんだよ。おれだけ電気付けてその中にいるってのはたまらんのだ」。そういう人です。僕が「ちょっと明るくして食べましょうよ」と言って奥さんが明かりをつけてくれました。

 -自分に厳しい。

 厳しいですね。そういうところがあの人の男らしさの根底です。腕っ節が強いから男らしいとかじゃない。人のために自分はどうすべきなのか、常にそれを考えている人です。

〈WHO’S WHO〉

 苅谷俊介(かりや・しゅんすけ)本名・苅谷俊彦 1946(昭和21)年大分県生まれ。高校卒業後に一般の会社で働いた後、東宝芸能学校に入り68年3月卒業。映画「トラ・トラ・トラ」助監督を経て71年「さらば掟」で俳優デビュー。72年、石原プロモーションに役者兼スタッフで「転がり込む」。他の映画に「里見八犬伝」など。テレビドラマに「大都会」、「西部警察」、大河ドラマ「葵」など。82年から考古学・古代史研究にライフワークとして取り組む。著書に「まほろばの歌が聞こえる」(エイチアンドアイ社)など。京都橘大学客員教授。

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