西部警察のゲンさん・苅谷俊介 石原プロどん底時代の絆…裕次郎さん、渡さんと堅く

 故石原裕次郎さん、渡哲也さんが社長を務めた芸能事務所、石原プロモーションが1月16日、芸能マネジメントを終了し58年の歴史に幕を閉じた。かつて所属した俳優、苅谷俊介(74)は石原プロが経営的に「どん底」だったときに役者兼スタッフとして「転がり込んだ」。昭和の大ヒットドラマ「西部警察」で“ゲンさん”の愛称で親しまれた苅谷に、石原プロ在籍時代の思い出を尋ねた。

 -石原プロモーションが1月に幕を閉じました。寂しいのでは。

 小樽の「石原裕次郎記念館」にもリピーターが来なくなって閉館して、アニイ(渡哲也さん)も体調を悪くして。4、5年くらい前から石原プロをたたむかどうかっていう話はありましたから、そんな寂しいってことはないです。

 -渡さんは事務所を閉じることについてどのように。

 1回だけ4年くらい前かな。「カリ、石原プロはこれからどうなると思う」と聞かれたことがありました。「裕次郎さんもお亡くなりになってるし、渡さんも社長をおやめになって俳優という立場になったんですから、やめたらどうですか」って言ったことがあります。

 -やめたらというのは「活動を終了したら」という意味。

 ええ。

 -渡さんの反応は。

 同じでしたよ。「そうだな、おれもそう思う」って。自分の体調の問題とか、裕次郎さんもいなくなって(石原)まき子さんも高齢になられた。事務所を維持していくとしたら社員の給料をどうするのか、そういうのをお考えになってたんでしょう。僕は舘ひろしくんが唯一、渡さんの後を継げる男だと今も思ってます。舘くんが継ぐと思ったんです。本当にいい男です。

 -石原プロに入ったころの話を。

 僕は石原プロが経営的にどん底のときに転がり込みました。渡さん主演の映画「さらば掟」(1971年)で僕は殺し屋ニックの役名で共演させてもらって、翌年に石原プロの一員として役者兼スタッフで入りました。同年の裕次郎さん主演映画「影狩り1」、「影狩り2」に出演して、出演料はそれぞれ3万円ほどでした。僕はまだ役者一本では食えなくて看板屋でアルバイトを兼ねていました。その賃金を貯めて少額ですが事務所の経理担当者に「何かの足しに」と渡したことがあります。出演料の一部も渡したことがあって泣いて喜んでくれました。渡さんを筆頭に事務所を去らなかった8人が一丸となって必死に頑張った「石原軍団」黎明期です。どん底だった会社のために泥まみれになって一生懸命尽くし、棕櫚縄のように堅く強い絆で結ばれています。

 -裕次郎さんとの思い出を。

 河口湖に裕次郎さんの別荘があって、そこに行った時にみんなバクチ好きだからポーカーとかやるんです。裕次郎さんは暖炉のそばに座って、「ゴリちゃん、こっち来いよ」って。僕のことを「ゴリラ」とか「ゴリ」って呼ぶんです。で、「ゴリちゃんが酒を飲まないことは分かってるけど、これ飲め」ってくれたのがアブサンです(笑)。

 -かなりキツい酒ですよね。

 夜7時ごろから朝の6時くらいまで、暖炉のそばで一升瓶を置いて飲みながら映画の話をずーっと2人でしました。みんなは麻雀やポーカーをやってました。裕次郎さんは「お前はいろいろやってくれたな」と。「たいしたことやってないです。微々たることです」「それでも気持ちだよ」なんて話をしながらね。裕次郎さんは「こういう映画を作りたいんだよ。ぽーんと池に石を投げるだろ。波紋ができるだろ。あの波紋のような映画だよ」と、そういう話をずっと。2升くらい飲みましたかね。最後は朝の6時くらい。裕次郎さんのコップに少しだけ酒が残ってて、僕は「これ飲んでくれたら寝られるんだけどな」って思ったものです(笑)。

 -裕次郎さんはお酒好きだったんですね。

 裕次郎さんは事務所にいらっしゃったときも酒を飲むんです。おつまみがなくて、僕がタマネギとシーチキンのサラダを作って出すんです。ところがタマネギを水につけるのを忘れて辛かったことがありました(声をあげて笑う)。

 -裕次郎さんは怒るのですか。

 怒らないですよ。ただ、箸をつけて食べて…なんにも言わない(笑)。手をつけないんで「どうぞ、食べてください」「うん、分かったよ」。そう言うだけで食べない。考えてみたらタマネギを水につけてなかったなって(笑)。

 -裕次郎さん亡きあと、渡さんが社長に。退任後も取締役として大変だった。

 そうですね。その点、僕は石原プロを辞めてましたから僕とは経営の話をする必要もないし気楽だったかもしれません。お亡くなりになられたのが8月10日で、たまたま8日に電話をしたんです。すごい調子が良さそうでした。気圧や湿度の変化に影響を受けるようで。「おお、カリ、来るか」と。「今日は行けませんけど体調はどうですか」「うん、まあまあだ」。まあまあっていうのが口癖なんです。「まあまあはいいけどちゃんと運動してますか」「うん、まあまあだ」「じゃあ言う通りにしてくださいよ。座って、僕が言うようにしてください。まずは左足を10回上げてください。はい、いーち、にーい」。「お前なんだよ。説教ばかりだ」って。

 -渡さんにそんなことができるのは苅谷さんくらいですかね。

 そういうのもうれしく思ってくれたかもしれません。

 

〈WHO’S WHO〉

 苅谷俊介(かりや・しゅんすけ)本名・苅谷俊彦 1946(昭和21)年大分県生まれ。高校卒業後に一般の会社で働いた後、東宝芸能学校に入り68年3月卒業。映画「トラ・トラ・トラ」助監督を経て71年「さらば掟」で俳優デビュー。72年、石原プロモーションに役者兼スタッフで「転がり込む」。他の映画に「里見八犬伝」など。テレビドラマに「大都会」、「西部警察」、大河ドラマ「葵」など。82年から考古学・古代史研究にライフワークとして取り組む。著書に「まほろばの歌が聞こえる」(エイチアンドアイ社)など。日本考古学協会会員。京都橘大学客員教授。

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