新野新が振り返る 昭和の伝説的ラジオ番組「ぬかるみの世界」…甲斐との口論の真相

 「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」はラジオ大阪が制作した昭和の伝説的ラジオ番組だ。パーソナリティーは落語家の笑福亭鶴瓶(67)と、放送作家の新野新(84)。20代と40代だった男2人が日曜深夜に“うだうだトーク”を繰り広げた。夢中になったリスナーはいつしか“ぬかる民”と呼ばれるようになった。番組を企画した当時のディレクター・岩本重義(75)の証言をまじえつつ、新野に当時を振り返ってもらった。=敬称略=

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 「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」は、“ぬかる民”と呼ばれる熱心なリスナーからのハガキが生命線だった。ハガキを元に2人のうだうだ話が始まる。届いたハガキの数は毎週300~500通。岩本がその中から3分の1を選んで鶴瓶に渡す。鶴瓶は全てを読んだ。

 新野 なかなか鶴瓶にはちゃんと言われへんかったんやけど、ハガキは鶴瓶が偉い。全部読んどった。あの番組に彼はかなり打ち込んどった。僕はどうでもよかった(冗談ぽく笑う)。番組が始まってから2~3年してから、これはエラいことになってきたと思った。リスナーからの反響がものすごかったからね。それは鶴瓶に聞いたんよ。「先生、エラいことになってるよ。みんな『ぬかるみ』聴くよ」って言ってたな。

 番組の初回ゲストは甲斐バンドの甲斐よしひろ。鶴瓶が懇意にしていた。ぬかるみに出演した1978年末に「HERO」が大ヒットする。甲斐は当時25歳。放送から40年を経ても続く伝説がある。本番中に新野と甲斐が口論となり、生放送だったことから怒声やモノが倒れる音などが電波に乗って流れたという。岩本は「放送後に鶴瓶ちゃんが、甲斐さんが灰皿を持ったとか言ってたけどね。ディレクター卓からは冷静に話しているように見えた。立ち上がったとかもない」。

 新野 あれはね…彼の言ったことが、僕には美空ひばりさんを侮辱するように聞こえたんです。それでオレが「何ぃ!」って反論することになって。番組を盛り上げるための演出じゃないです。甲斐バンドとかの音楽を僕は分かってなかってん。そういう状況で、美空ひばりさんの名前が出た時に彼が「そんなもん」っていうような言い方をしたんやったかな。僕にはそんなふうに聞こえた。随分前のことやけど。本音のラジオかって?そう、それ。

 音楽つながりなのか、新野はおもむろに故やしきたかじんに触れた。新野はたかじんのテレビ番組を手がけていた。

 新野 たかじんから見たら、オレは面白いネタがなかってん。(※たかじんはライブの前に新野の弟子に電話をして新野の面白ネタを聞きだし、ライブで披露して観客を笑わせた)。弟子がたかじんに冗談で言うたんや、オレが同性愛者やって。たかじんのコンサートは涙が出てくるね。女性ファンがいっぱいおるやんか。彼女らが泣いてた。僕も泣いた。アカペラで最後に歌う「見上げてごらん夜の星を」。泣いたんはサンケイホールや。たかじんは難儀な人やったよ。たかじんに入り込んだ人間はええと思うねん。こっちは入り込んでないからね。

 「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」は1978年4月に始まり89年10月1日に終了した。バブル時代と重なった。

 新野 (バブル末期の)92年にビルを建ててん。バブルと言えば僕がテレビに出たりしたんはバブルやんか。スタッフから「バブル景気が終わりましたね」って言われて、「あーそうやなー」って思ったもんやわ。バブル終わりました。あんたのバブルも終わったという言い方やった。結果的にそうやった。3~4年して仕事なくなった。あれがバブルやったと思うねん。テレビ毎日出とったんや。

 現在84歳。新野は多くの番組に関わった。弟子も育てた。

 新野 放送作家というのは地位があった。僕がやってたころはそうやった。あっという間にこの年になった。チ●コは73歳まで。これで最後やなっていうのが分かるねん。ほんまやで。大阪万博が2025年か。90歳くらいになるよ。万博は…ぎりぎりやな。来年の東京オリンピックは見ましょう。90までは貯金はもたん。もう2、3年やと思っている。毎月そんなに使わへんよ。

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 新野新(しんの・しん) 放送作家。1935(昭和10)年2月23日大阪生まれ。早稲田大学文学部卒。テレビ草創期、関西の各局でテレビドラマや演芸番組等の脚本・構成を担当。著書に「上方タレント101人」など多数。

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