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空襲、肺炎、地雷…母の思いが命を救ってくれた

少年時代の藤岡と母©SANKI WORLDWIDE
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 私は終戦後の昭和21年2月19日に愛媛県で生まれました。松山大空襲(昭和20年7月26日深夜から翌未明)の時、私は母のお腹(なか)にいたのです。

 空襲前、母は松山の病院にいたのですが、何を思いついたのか、突如、院長先生に「私は(病院を)出ます」と、西条の実家に帰ってしまった。そうしたら、その翌日が空襲で、病院ごと全滅。助かったのは外出していた院長先生と母だけだったらしいんですよ。

 父がぼう然と病院の焼け跡に立っていたら、院長先生が「あなたの奥さんは運がいい。実家の方に行かれたから」ということで連絡したら無事だった。非常に勘の強い母でした。そして私もお腹の中に入っていた。まさに奇跡の存在だなと。

 私は生まれてから何回も死線をさまよいました。3歳の頃に肺炎になりましてね。病院から「この子はもう無理だ」と見放され、遺影の写真を撮った。そういう状況で母は命がけで看病してくれた。

 西条にいた母方の祖父が危篤になった時、肺炎で熱のある私を抱いて、私たちが住む久万(くま)町から車で雪をかき分けながら、ギリギリ間に合った。祖父は私の手を握ったまま、「おまえの病気を(あの世に)持って行ってやるから、親を助けてやれ」と言い残し、こと切れたんです。その後、奇跡のごとく私は回復した。そういう奇跡の連続で、私は存在しています。

 「仮面ライダー」の撮影中、バイク事故から九死に一生を得て生還したことも奇跡でした。世界100カ国近くを旅した中では、カンボジアで地雷が近くで爆発したこともありました。ドクロのマークが付いた立て看板があったらしいが見逃していたのです。どこで何があるか分からない。先祖に感謝としか言い様がなかった。信念の強い、母の想いが守ってくれたのかもしれません。

 その母も2013年に103歳で亡くなりました。この写真は、幼い私と母が寄り添う、大切な1枚です。

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