昭和、平成、令和の3時代で輝いた新派の名優・水谷八重子さん死去 肺炎のため87歳で
劇団新派を代表する俳優で、映画、テレビでも活躍した水谷八重子(みずたに・やえこ、本名松野好重=まつの・よしえ)さんが8月28日午後0時18分、肺炎のため都内で死去した。87歳。東京都出身。葬儀は近親者で行う。後日、お別れの会を開く予定。父は歌舞伎俳優の十四代目守田勘弥さん、母は初代水谷八重子さん。ジャズ歌手としても活躍し、NHK紅白歌合戦に出場するなど、多才な芸で魅了した。
昭和、平成、令和の3時代で輝いた新派の名優が旅立った。
今年3月に新派・松竹新喜劇の合同喜劇公演の記者会見に出席したが、体調不良のため4月に休演を発表し、配役が変更となっていた。25年2月の京都・南座で行われた新派喜劇公演「三婆」が生前最後の出演となった。
水谷良重(よしえ)を名乗って1955年、16歳で新派の公演で初舞台。同時にジャズ歌手としてもデビューし、58年から4年連続で紅白に出場した。テレビで「あなたとよしえ」「若い季節」などに出演してアイドル的人気となり、黒柳徹子、横山道代とともに「テレビ三人娘」と称された。同じく有名人を親に持ち、オネエと慕った朝丘雪路さんらと「七光会」を結成するなど、ユーモアも持ち合わせた。
79年に母が死去。偉大な母との関係性は、当時発表した「自分の母親が死んだという実感はありません。新派という劇団の一番大きな星を失ったという気持ちです。いまでもたった一人の母がなくなったという気はしておりません」というコメントに表れていた。逝去翌日は、一睡もせずに舞台に立ち、高いプロ意識を見せつけた。
芸に捧げた人生だった。59年にジャズドラム奏者の白木秀雄さんと結婚したが、63年に離婚。水谷さんは「私が妻になれなかった。白木はベビーをほしがったけれど、芸能人として成長したい私は、その十カ月の不安に耐え切れなかった」と話し、会見中に発した「愛しているから別れます」は流行語になった。
88年の新派100年記念公演には、雙葉学園で5年違いの同窓だった、当時皇太子妃だった美智子さまが観劇に訪れたことも話題に。母の背中を追って新派の舞台を支える存在となり、95年に二代目水谷八重子を襲名した。
大黒柱として劇団を牽引し、新派の代表的古典で母の当たり役だった「佃の渡し」「滝の白糸」などで魅力を発揮。一方で山田洋次氏が演出した「家族はつらいよ」「東京物語」、横溝正史原作の「八つ墓村」「犬神家の一族」といった舞台にも挑み、新たな一面を見せた。
2001年に紫綬褒章、09年に旭日小綬章。伝統を受け継ぎながら、個性を生かした舞台で新風を吹き込み、近年も精力的に板の上に立ち続けた。
1986年の二代目襲名時「名前が大きく重すぎて大変なことだが、新派のためなら逃げない。決心しています」と覚悟を表明していた。その言葉通り、新派に全精力を注いだ人生だった。
◆水谷八重子(みずたに・やえこ)1939年4月16日生まれ。東京都出身。父は歌舞伎役者・十四代目守田勘彌さんと母は新派の初代水谷八重子さん。55年に水谷良重の名でデビューし、歌舞伎と新派のサラブレッドとして注目を集めた。舞台、映画、テレビなど幅広く活躍し、歌手としても紅白に出場。95年に二代目水谷八重子を襲名した。文才も発揮し、「暮しの手帖」での連載は、3年続けてベストエッセー集に選ばれた。プライベートでは、59年にジャズドラム奏者の白木秀雄さんと結婚したが、63年に離婚した。
