77歳の上田正樹 9月に喜寿記念ライブ開催 今年でデビュー55年目「音楽こそ国を越える、みたいなところに行きたい」
日本を代表するR&B/ソウルシンガーで「悲しい色やね」の大ヒットで知られる上田正樹(77)が9月3、4日に東京・なかのZEROホールで喜寿を記念したライブ「77th“KIJU”FESTIVAL!!」を開催する。今年でデビュー55年目となった上田が、その原点から半世紀以上におよぶキャリアを振り返るとともに、喜寿ライブや未来への思いを語った。
7月7日で77歳になった上田は、今まで音楽を続けられた理由を「最初が大きかった」と言う。
1965年、アニマルズの初来日公演を見た。当時、ビートルズと並ぶ世界的な人気を誇った英国のロックバンドだ。そこで聴いたジョン・リー・フッカーのブルースのカバー「ブーン・ブーン」が運命を変えた。
「それにハマって、奥の客席から走ってきてステージに上がって『イエーイッ!』って言ったら(ボーカルの)エリック・バードンが握手してくれたんですよ」
「体の全細胞が震えるぐらい感動」した上田少年は「絶対これやるわ、シンガーになろう」と心に決めた。「R&B的なことをちゃんと表現できる」メンバーをよりすぐり、74年に有山じゅんじ、中西康晴、藤井裕らと「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」を結成。75年に「この熱い魂をつたえたいんや」、有山との「ぼちぼちいこか」と、ロック史に残る名盤アルバムを発表した。
76年に解散し、ソロに転じると82年に特大ヒット曲「悲しい色やね」を発売。作詞家の康珍化氏と「大阪の歌をやろうよ」と作り始めた曲で、当初の歌詞は「尼崎の灯をふたり見ていた」だった。上田が「南港まで行って、尼崎が見えへんかった」と指摘し、「(康氏は)一晩徹夜されたのかな。『できた!』って言って『にじむ街の灯を』になった」と、あの歌い出しが誕生した。
昨年9月には大阪・関西万博で歌った。「1万人以上いました。サビの『Hold me tight』、全員が歌ってましたからね」。楽曲の持つ力を改めて感じるステージとなった。
半世紀以上のキャリアでは悩みもあった。そんな時、ブルースの神様B・B・キングに「日本人だし、ブルースなんか」といったことをこぼすと「何を言ってるんだマサキ。おまえはそれでいいんだ、おまえこそブルースをやってるんだ」と励まされた。「暗いトンネルに光が来たような感じです。これでいいんだ、ばっちりだという言い方をしてくれたのがすっごいうれしかった」と、霧が晴れていった。
喜寿ライブには半世紀以上にわたる間柄で「ギタリストとして大好き。すごいいいヤツで、一度もケンカしたことがない」という有山ら「上田正樹R&B BAND」に、3日はケイコ・リー、井上鑑、内田勘太郎がゲスト出演。4日は対バンに木村充揮ロックンロールバンドを迎え、永井“ホトケ”隆をスペシャルゲストに迎える。
内田と木村は憂歌団、ホトケはウエストロード・ブルースバンドとして若き日にしのぎを削った仲間で「みんなが最高のプレイをする、いい感じで歌う、それぞれの個性があるんで、それぞれがイエイッ!って充実してほしい」と期待する。
また、喜寿を記念してシングル「今ある気持ち~Come Now~」と「shine around the world」をリリースする。長年にわたって自然災害の被災者らへの慈善活動を続ける上田の「こうなってる(打ちのめされている)人たちに音楽を届けたい」という思いから生まれた楽曲だ。
今後は「音楽こそ国を越える、みたいなところに行きたい」という。アジア各国でヒットを飛ばし、海外アーティストとの交友も広い上田は、喜寿を迎えてなお、広い世界を見つめている。
◇上田正樹(うえだ・まさき)1949年7月7日生まれ、京都市出身。74年、「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」結成。76年解散。83年、前年発売のシングル「悲しい色やね」が大ヒット。99年、日本文化解禁前の韓国でアルバムデビュー、20万枚をセールス。2001年、インドネシアの歌手REZAとデュエットした「Forever Peace」が同国で17週連続1位。最も影響を受けたレイ・チャールズをはじめB・B・キング、ジュニア・ウェルズ、ネヴィル・ブラザーズらと共演した。
