【加藤一二三さん評伝】大山、升田から藤井まで-盤上に全て注いだ勝負師
将棋の加藤一二三(かとう・ひふみ)九段が22日午前3時15分、肺炎のため東京都済生会中央病院で死去した。加藤九段は将棋一筋に生き抜き、盤上の戦いに全てを注いだ希代の勝負師だった。
幼稚園で将棋を覚え、小学生時代、新聞の観戦記に興味を持ち、夢中になる。プロ棋士養成機関の奨励会に入るが、その才能は目立ち、「福岡のダイヤモンド」と称されたほど。54年、中学生でプロ棋士に。名人戦・順位戦では連続昇級し、18歳でA級に昇級した。しかし、当時は故大山康晴15世名人、故升田幸三・九段の巨星が健在で、高い壁との戦いに精根を使い果たす日々が続いた。
念願の初タイトル獲得は69年1月。6度目の挑戦で大山十五世名人から十段を奪った。「これがプロとしてやっていける自信になった」という。本人が「特別」と話す名人にたどり着いたのは82年。中原誠名人との7番勝負は3勝3敗1持将棋(2千日手)の激戦の末、最終局へ。難しい最終盤、詰みを発見したとき思わず叫んだ。「あっ、そうか」。歓喜の声が周囲に響き渡った。
2017年に規定で引退するまで指し続けた。盤上没我。銀を積極的に繰り出す棒銀戦法を信じ、全ての対局に「勝つと思って臨んだ」。情熱と気迫に圧倒された。
引退後はタレントとしても活躍し、お茶の間の人気者に。「知らない人から声をかけられると、うれしいですね」と笑みが広がっていた。昨年5月、東京都内のホテルで開かれた棋王戦50周年記念祝賀会に車椅子に乗って出席。「参加したかったんだ。ありがとう」と感無量の面持ちだった。これが公の行事に出席した最後の機会となった。
大棋士の厳しさ、好々爺(や)の温かさ。不思議な魅力を振りまいた生涯だった。
