川村龍夫さん死去 堺正章ら所属ケイダッシュ会長 出張先・京都で 84歳 ブルー・コメッツら育て上げる

 川村龍夫さん
 格闘技イベントの会見で握手を交わす川村龍夫さん(右)とアントニオ猪木さん=2002年6月
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 大手芸能プロダクション・ケイダッシュの代表取締役会長で、日本の芸能界を代表するプロモーターとして活躍した川村龍夫(かわむら・たつお)さんが出張先で死去したことが30日、分かった。同社が発表した。84歳。東京都出身。川村さんは高校時代の同級生だった歌手、俳優の鹿内孝(84)のマネジャーとして芸能界入り。ブルー・コメッツをトップに育て上げ、1993年に設立したケイダッシュを業界を代表する大手事務所に成長させるなど、長く辣腕(らつわん)を振るった。

 日本の芸能界をリードしてきた巨星が突然、この世に別れを告げた。

 ケイダッシュはこの日、報道各社に文書で「弊社代表取締役会長 川村龍夫が出張先にて逝去いたしましたことを、謹んでご報告申し上げます」と公表。関係者によると、川村さんは29日に出張で京都を訪れて同市内のホテルに宿泊し、30日になって亡くなっているのが発見されたという。

 川村さんは千葉・市川高時代に鹿内や芸能事務所・バーニングプロダクションの周防郁雄会長らと同級生で、立教大在学中の1959年、「鹿内タカシ&ブルーコメッツ」を結成した鹿内に誘われてマネジャーに就任した。その後、大橋プロダクションに入社してブルー・コメッツのマネジャーとなった。

 1967年に「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」名義で発売した「ブルー・シャトウ」が大ヒットし、第9回日本レコード大賞を受賞するまでの存在に育て上げた。田辺エージェンシーを経てケイダッシュを設立し、鹿内のほか堺正章、渡辺謙、高橋克典、南野陽子、坂口憲二ら多くの人気スターを抱えた。

 2022年には韓国・釜山で開催された「第4回アジアコンテンツアワード」で生涯功労賞を受賞。「今後も日本と韓国の文化に貢献していきたい」と語っていた。

 マット界とも関係が深かった。長きに渡り親交が深かったアントニオ猪木さんとは2002年8月8日に東京ドームで総合格闘技のビッグイベント「UFO LEGEND」を開催し、新日本プロレスの取締役やIWGP実行委員にも就任した。バルセロナ五輪柔道銀メダリストの小川直也や北京五輪柔道金メダリストの石井慧がプロに転向すると、バックアップを惜しまなかった。

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