和泉雅子さん逝く 77歳 吉永小百合&松原智恵子と「日活三人娘」89年冒険家として日本人女性初北極点到達
俳優で冒険家の和泉雅子(いずみ・まさこ)さんが9日午後1時3分、原発不明がんのため自宅で死去していたことが18日、分かった。77歳。東京都出身。所属事務所によると、生前葬を営んでおり、葬儀は故人の遺志で行わない。俳優としては吉永小百合(80)、松原智恵子(80)とともに「日活三人娘」として、かれんで愛らしい個性で1960年代に人気を博した。冒険家としては89年に女性では日本人初、世界でも2人目の北極点到達という壮挙を成し遂げた。
俳優として一世を風靡し、冒険家として日本女性初の快挙を成し遂げるなど、世界を股にかける活躍でその名をとどろかせた和泉さんが、天国へ向けた永遠の旅に出てしまった。
「マコ」の愛称で親しまれた和泉さんは、生まれも育ちも銀座の江戸っ子。10歳で劇団若草に入った。退団後、柳家金語楼門下に入り、水の江滝子プロデューサーによって61年に日活入社。代表作「非行少女」(63年)の演技はジャン・ギャバンが絶賛した。和泉さんは撮影前、デイリースポーツの取材に「はだかで、がむしゃらにぶつかるだけ」と意気込みを語っていた。
日活での主な出演作に「エデンの海」「悪太郎」「男の紋章」「刺青一代」「絶唱」などがあり、高橋英樹の相手役を多く務めた。吉永とはとても仲が良かったという。歌手としては山内賢さんとデュエットした「二人の銀座」「東京ナイト」が大ヒットした。
転機は83年。テレビの取材で南極に行くと、85年には遠征隊を組織して北極点到達に挑戦した。残り148キロ地点で撤収し1億円の借金を抱えたが、完済して89年に再挑戦した。5人の遠征隊で800キロ近い大氷原を62日かけてスノーモービルとそりで踏破し、北極点に到達。「サクラノカオリニヨロシク」との暗号で「地球のてっぺん」到着を報告し、「ここまで本当によく頑張ったなあと思いました。本当に長い苦しい北極点でした」と話した。
帰国後は俳優業を控え、グリーンランドなど、北極圏をたびたび訪問した。国内では北海道士別市に別荘「マークン山荘」を建設して東京との二重生活を展開。現地の子どもたちと遊ぶボランティア「寒いのへっちゃら隊」を結成するなど、アクティブな生きざまで多くの人に愛された。また、東京・港区の超高級住宅街にホテルを所有するなど、実業家としての一面も持っていた。
俳優として、冒険家として大きな足跡を残した「マコ」。最後はがんとの闘いに挑み、77年の勇気ある生涯を終えた。
◇和泉雅子(いずみ・まさこ) 1947年7月31日生まれ、東京都出身。10歳で劇団若草の子役になり、1961年に日活に入社。吉永小百合、松原智恵子と合わせ「日活三人娘」と呼ばれ人気を誇った。66年に山内賢とのデュエット曲「二人の銀座」が、67年にも「東京ナイト」が大ヒットし、歌手としても活躍。テレビドラマにも多く出演した。冒険家としても知られ、85年に遠征隊の隊長として北極点遠征に挑戦して残り150キロ弱で断念したが、89年に再挑戦し、日本人女性として初めて北極点に到達した。
