不妊治療を再開しなかった中井美穂、周囲から「古田二世が見たい」の声も「負い目は正直、ずっとある」
元フジテレビでフリーアナの中井美穂が13日、NHKEテレ「ハートネットTV」で、自身が体験した不妊治療について振りかえった。
中井は当時、プロ野球ヤクルトの古田敦也氏と結婚。その後、不妊治療を行う中で、多発性子宮筋腫という病気が発覚。これが不妊の原因の一つと考え、自分で選択し、手術を受けたという。
手術は成功するも、術後の経過が思わしくなく、腹膜炎を発症し、そのため1年間の人工肛門生活となった。
人工肛門は脇腹付近に穴を開け、そこから排泄物が出てくる。自分の意思で我慢することはできず、装着した袋の中に排泄物が出てくるため、臭いや蒸れに敏感に。外出先では必ずトイレの場所を確認していたという。
夫の古田氏は当時、現役だったため「手術はペナントレースの終盤で、心配をかけたくないし、自分のことは自分でしっかりとと思っていたが、やはり心配していたと思う。申し訳なかった」とも語った。
人工肛門を閉じた後も、体調と相談し不妊治療は再開することはなかった。「夫や家族から子供を産んで欲しいといわれた事はないが、周囲からは言われたことも。ちょっと太ると妊娠ですか?とか。いちいち傷つくこともあった」といい、「子供がいない負い目みたいなものは正直、ずっとあります。夫や夫の家族に孫の顔を見せられなかった後ろめたさもある」と率直な気持ちも語った。
スポーツ選手の妻は、妊娠のことを聞かれることも多かったようで「古田二世を見たいなとか、そう言われてもなあって。自分もつい言ってしまいがちだから、一歩立ち止まって、言ってくるまで待つとか、聞き方を気を付けるとか…」とも語った。
古田氏と子供について話はしたのか?という問いには「具体的には、体が回復するまではと、それから以降、子供の話は出なくなった。私が話をしたらちゃんと話をしてくれたと思うけど、私からしない限り、自分からは言わないと思っていたんだと思う」とコメント。
今でも引け目のようなものはあるというが、「自分の人生誰も代わりに生きてくれない、責任取ってくれない」とも語り、「できることをやって、それでもできなければその考えを手放すのも大事なこと。マイナスなイメージあるが、そこから何かスタートすることもある」と話していた。
