山崎ハコ 曲を通じて亡き夫・安田裕美さんと交信 5・24に50周年記念&バースデーLIVE

 「飛びます」や「織江の唄」などの楽曲で知られ、独特の世界観で熱烈なファンを持つシンガー・ソングライターの山崎ハコ(67)が今秋、デビュー50周年を迎える。昨年10月にアルバム「元気かい」をリリースし、5月24日には東京・有楽町のヒューリックホール東京で「50周年記念&バースデーLIVE!!」を行う山崎が、人生で迎えた大きな危機や、亡き夫でギタリストの安田裕美さんへの思い、50周年や記念ライブについて語った。

 山崎は「よくやめずに来て良かったなと思います。それまで安定を感じた時はないので」と、半世紀の感慨を語った。

 デビューした75年、日本は学生運動の挫折や第1次石油ショックなどの暗い時代から明るい時代へと向かっていた。山崎は暗い、重いなどとレッテルを貼られつつも、明るさにノレない多くのファンの心をつかんだ。

 とはいえ、自身は暗くも無口でもない「普通の高校生」だったという。今も実際に話せば言葉数は多く、暗くも重くもない。「自然のまんまにやらないと自分がつらい。だから自然に笑ってて、なんだあっかるいじゃんって言われます」。

 明るい時代には逆風にさらされるも「寂しくなった時に、ポロッと地下を見た時に、あれ?ハコがいると思ってくれればいいし」と考えてサバイバル。生きづらい時代も過ぎた90年代末、「人生の中で一番ひっくり返った」大事件が起きた。

 デビューからの所属事務所が破綻し、「全てがいったんゼロ」になった。「何もない。(お金が)通帳に入ってないもんで。事務所が保証人になってることは一切ダメ。(自宅も)3日以内に出てくださいって言われて」と暗転。仕事も住居もお金も全て失った。

 大ピンチに手を差し伸べたのは原田芳雄さん、渡辺えりら俳優たちだった。渡辺は自宅の合鍵を渡し、原田さんは自宅で毎日食事を作ってくれた。山崎の歌を「暗いとこが良くて、聴いて泣く」と愛した俳優の仲間たちは、家や歌う仕事を探して奔走した。

 「(原田さんが)明日も来いな、俺が作るから、明日何がいい?って言って。そしたらもう死にたいわとか言えなくなっちゃって。歌おうと思って。芳雄さんが、やめたら歌聴けねえのは淋しいだろが俺がって言うの。えりさんも俳優たちも、ハコさん歌ってないと何もできないんだから(と言った)。その時は歌だけ一生懸命歌ってたから、みんな助けてくれてるんだな。真面目に歌ってきたことだけは良かったなあと思いましたね」

 2020年にはデビューからの音楽的なパートナーで、私生活でも01年に結婚した安田さんを大腸がんで失った。「これ以上のショックはなかった。今でも悲しみは消えない」という山崎が今も歌っているのは「安田さんのためにですね、たぶん」と明かす。

 「いなくなったとか、死んだとか、自分の救いの方法として思わないという手がありますよね。となると、聴かせてあげないと、見せてあげないと何の楽しみもないよなあと。歌がいいから助けたのに、おまえさっぱりダメになっちゃったなって言われたくないと思って、芳雄さんにも安田さんにも。(安田さんに)俺のせいだねって思わせたらいけないと思って」

 50周年ライブでは最初に買ってもらったギターと安田さんのギターを弾き、名曲群でキャリアを振り返るとともに、「元気かい」などの新曲も歌う予定だ。ニューアルバムのタイトル曲でもある「元気かい」は「空の上(安田さん)と交信する歌」になっている。

 「今日交信すれば取りあえず今日は生きられて、また起きたらまた交信すればまた生きてられて、そう思ってます。向こうは分かんないけど、元気かなあと思って。私が歌ってれば元気な気がするんですよね」。

 山崎は「みんな心配してるんですよね、安田さんいないからハコがどうなってるのかなって。だから、今月今夜のこの元気でフルにやってみます」と意気込んでいる。

 ◇山崎ハコ(やまさき・はこ)1957年5月18日生まれ、大分県日田市出身。75年、アルバム「飛・び・ま・す」でデビュー。79年、ニッポン放送「オールナイトニッポン」DJ。81年、映画「青春の門」のイメージソング「織江の唄」がヒット。94年、日本レコード大賞アルバム企画賞。02年、アニメ「ちびまる子ちゃん」で本人役。10年、映画「ヘヴンズストーリー」で女優デビュー、高崎映画祭最優秀助演女優賞。12年、レコ大優秀アルバム賞。25年、NHK「ラジオ深夜便」レギュラー(偶数月第1水曜)。血液型AB。

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