柳生博さん 八ヶ岳の森に囲まれ天国へ 司会から名バイプレーヤーにナレーターまで

 味のある脇役としてドラマや映画で活躍した俳優の柳生博さんが、老衰のため山梨県北杜市の自宅で16日に死去したことが21日、発表された。85歳。茨城県出身。20日に家族葬が営まれた。喪主は次男の宗助(そうすけ)氏。70年代から山梨県に居を構えて森を整備し、日本野鳥の会の名誉会長を務めるなど自然保護活動にも尽力。後日、オーナーを務めたレストラン兼ギャラリーの八ヶ岳倶楽部でお別れの会が開かれる。

 愛した木々に囲まれ、柳生さんが天国へと旅立った。この日、八ヶ岳倶楽部の公式サイトで次男の宗助さんが「病院には入院せず、大好きな八ヶ岳の森に囲まれ、家族と倶楽部スタッフ、そして在宅医療の皆さまに見守られて、穏やかな最期でした」と訃報を伝えた。

 関係者によると、柳生さんは昨年まで木々を剪定(せんてい)するなど勢力的に森を整備。今月上旬までは普通に会話もでき、大きな持病もなかったという。

 体力や意識レベルの低下とともに在宅医療を始め、16日の朝方に宗助さんら10人ほどにみとられて永眠。「眠りについたまま目を覚まさなかったという感じでした」と安らかに最期を迎えた。ひつぎにはダンコウバイの枝など森の木々が入れられ、荼毘(だび)に付されたという。

 柳生さんは俳優座養成所を経て、1961年に今井正監督の映画「あれが港の灯だ」で本格デビュー。ドラマ「飛び出せ!青春」の教師役やNHK連続テレビ小説「いちばん星」の野口雨情役で注目され、味わいのある演技でバイプレーヤーとして多くの映画やドラマを支えた。

 温和な人柄が愛され、「100万円クイズハンター」の司会では「ハンターチャンス!」の合言葉が人気となった。バラエティー番組の解答者としても活躍。渋い声を生かし、米俳優ジェームズ・スチュアートの洋画吹き替えや「生きもの地球紀行」のナレーションでも存在感を発揮した。

 76年には八ヶ岳に家を構え、都内との2拠点生活を開始。森を切り開いて木々を植え、自然保護活動に取り組んだ。生涯で植えた木々は1万本以上。15年に咽頭がんのため47歳で亡くなった長男の真吾さんも園芸家として活躍した。

 04年には「日本野鳥の会」の会長に就任。19年に約20年ぶりに連ドラ出演した「やすらぎの刻~道」が遺作となった。豊かな自然の中で自らを「森のじいじ」と呼んだ柳生さん。宗助さんは「父は倶楽部の森をこれからも見守ってくれてると思います」と願った。

 ◆柳生博(やぎゅう・ひろし)1937年1月7日生まれ。茨城県出身。東京商船大(現・東京海洋大)中退後、俳優座養成所に入所。1961年に映画「あれが港の灯だ」に出演しデビュー。後年は山梨県北杜市に居住した。八ヶ岳山麓のギャラリー&レストラン「八ヶ岳倶楽部」オーナー。日本野鳥の会の名誉会長。コウノトリファンクラブ会長。妻は女優の二階堂有希子。柳生一族の末裔(まつえい)。

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