モンキーズのマイク・ネスミスさん死去、78歳 「デイドリーム」「恋の終列車」
1960年代に「デイドリーム」、「恋の終列車」など多くのヒット曲を放ち、テレビの冠番組と併せて世界的な人気を博した米バンド「ザ・モンキーズ」のマイク・ネスミスさんが10日朝(現地時間)、心不全のため米カリフォルニア州カーメル・バレーの自宅で死去した。78歳。テキサス州ヒューストン出身。複数の米メディアが伝えた。家族に見守られ、安らかに亡くなったという。
モンキーズはデイヴィー・ジョーンズさん(ボーカル)が2012年に、ピーター・トークさん(ベース)が19年に死去しており、生存しているメンバーはミッキー・ドレンツ(76=ドラムス)のみとなった。ネスミスさんとドレンツは今年、ツアーを開催しており、先月、米ロサンゼルスで公演を行ったのが最後となった。
ドレンツは「胸が張り裂けそうです。親友であり相棒を亡くしました。ここ数カ月を共に過ごし、歌ったり、笑ったり、しゃべったり、大好きなことをできたことに感謝します。とても寂しい。ネズ、安らかに。私の愛の全てを」と、抱き合う2人の写真を添えて、ツイッターで追悼のコメントを発表した。
ネスミスさんは42年12月30日生まれ。歌手、作曲家として活動後、65年、NBCのテレビ番組向けに結成されたモンキーズに参加し、ボーカルとギター、ソングライティングを担当した。
66年にデビューしたモンキーズは「モンキーズのテーマ」や7週連続全米1位を獲得した「アイム・ア・ビリーバー」などヒット曲を連発し、67年のセカンドアルバム「モア・オブ・ザ・モンキーズ」は全米アルバムチャートで18週1位を獲得した。テレビ番組「ザ・モンキーズ・ショー」も66~68年に放送され大ヒット。68年には来日公演を行った。
バンドはトークさん、ネスミスさんが脱退後の70年に解散。ネスミスさんはカントリー・ロックの「ファースト・ナショナル・バンド」やソロ、映画「レポマン」のプロデュース、グラミー賞を受けた監督業、執筆など幅広く活躍した。モンキーズも断続的に再結成して活動した。
日本では故忌野清志郎さんらが結成した覆面バンド「ザ・タイマーズ」が「デイドリーム」を日本語でカバーした「デイ・ドリーム・ビリーバー」(89年)がヒット。セブン-イレブンのCMソングとして長く使用され、スタンダード・ナンバーとなった。
訃報を受けてブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)、スティーヴィー・ヴァン・ザント(E・ストリート・バンド)、ポール・スタンレー(キッス)、スラッシュ(ガンズ&ローゼズ)、ギャリー・ニューマン、ミッジ・ユーロ(ウルトラヴォックス)らがSNSで追悼コメントを発表している。