林家こん平さん逝く 「笑点」の太陽キャラ…15年越える壮絶闘病も完全復帰かなわず

 日本テレビ系演芸番組「笑点」に長くレギュラー出演し、「チャラーン」のかけ声などで人気を博した落語家の林家こん平(はやしや・こんぺい、本名笠井光男=かさい・みつお)さんが17日午後2時2分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため東京都豊島区の自宅で死去していたことが21日、分かった。77歳。新潟県出身。葬儀は19日に近親者で行われ、後日お別れの会を開く予定。2004年に体調を崩し、翌年に多発性硬化症が発覚。糖尿病なども患い、闘病を続けていた。

 「チャラーン!」、「こん平でーす!」-落語界の太陽のような明るいキャラクターのこん平さんは、次々と襲う病魔と闘い完全復帰を目指したが、思いは実らなかった。

 関係者によると、ここ数年、入退院を繰り返し、最近は自宅で療養していた。「都電寄席」などの仕事は3月末まで行っており、地元の新潟に戻ることもあったが、最後は自宅で家族と直弟子に見守られ、静かに旅立ったという。

 新潟県の農家に育ち、中学卒業と同時に上京。1958年に「昭和の爆笑王」こと初代林家三平さんに入門した。66年には真打ち昇進前の二ツ目でありながら、「笑点」開始と共に大喜利メンバーに抜てき。豪快なキャラクターでお茶の間から愛された。

 80年には三平さんが54歳の若さで病没。37歳にして総領弟子として一門を統率することとなった。所属していた落語協会の分裂騒動が起きた直後で、数多くの困難に直面しながらも、師匠の子息である九代目林家正蔵(58)と二代目林家三平(50)、林家たい平(56)らを育成した。

 噺(はなし)家として押しも押されもせぬ地位を築き、さらなる発展が期待されていたが、2004年に声帯を痛めて入院。05年3月に多発性硬化症との診断を受け、病との長い闘いが始まった。

 同年、リハビリ用の施設に転院した際には、病状を悲観するあまり自殺未遂も起こした。必死に回復を目指したが、13年には糖尿病が悪化して左足の壊死(えし)が進み、指を切断。一時は心肺停止に陥った。19年4月には小脳梗塞が発覚したが、手術はせず投薬治療で克服した。

 落語界きっての卓球名人でもあり、笑点メンバーの三遊亭小遊三(73)と共に「らくご卓球クラブ」を設立した。今年、開催予定だった東京パラリンピックの応援大使にも就任しており、開催を心待ちにしていたが、新型コロナウイルス禍でよもやの延期となった。こん平さんは本番を見届けることなく、この世を去ってしまった。

 ◆林家こん平(はやしや・こんぺい、本名笠井光男=かさい・みつお)1943年3月12日生まれ、新潟県出身。58年3月、初代林家三平に入門。62年、二ツ目昇進。66年、日本テレビ「笑点」大喜利メンバーに抜てき。72年、真打ち昇進。2006年、落語協会相談役。主な持ちネタは「幇間腹」、「品川心中」、新作の「クイズ」、「農村の花嫁」。趣味は卓球で98、00、02年世界ベテラン卓球選手権出場。四段。レコードも10枚出し、「コシヒカリ音頭」で日本コロムビアヒット賞。著書に「人生開けごま」、「チャランポラン闘病記」。出ばやしは佐渡おけさ。紋は花菱

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