浅香光代さん逝く 99年「ミッチー・サッチー」騒動社会現象、ご意見番でも活躍
「女剣劇」で活躍し、「ミッチー」の愛称で親しまれた女優・浅香光代(あさか・みつよ、本名北岡昭子=きたおか・しょうこ)さんが、すい臓がんのため、13日に都内の病院で亡くなっていたことが14日、分かった。92歳。東京都出身。今年10月末にがんが発覚し、入院していた。通夜は16日、葬儀は17日に親族のみで執り行う。喪主は長男・北岡一男(きたおか・かずお)さん。
女剣劇界のスターとして、芸能界のご意見番として、エネルギッシュに活動してきた浅香さんが、静かに旅立った。取材に応じた次男・北岡昭次さんによると、認知症の兆候があったことから介護施設に入所。数日後に体調を崩して10月末から入院。検査の結果、ステージ4のすい臓がんが見つかった。親族は余命3カ月の宣告を受けていたという。
浅香さんには病名は知らされず、手術も受けなかった。日によっては会話もできていたが、1週間ほど前に体調が急激に悪化して、13日午前1時47分、入院先の病院で息を引き取った。
東京・神田生まれの浅香さんは、幼少期に三味線と踊りを始めて、14歳のときに「浅香光代一座」を旗揚げ。太ももや胸をちら見せする、“チラリズム”の演出を取り入れた。浅草を中心に活動し、1950年代後半からの女剣劇全盛時代に人気を集めた。
映画やドラマにも出演。バラエティーに進出すると、99年には故野村沙知代さんの言動を批判して「ミッチー・サッチー騒動」が勃発。他の芸能人も巻き込んで大論戦を繰り広げ、「ミッチー・サッチー」は流行語大賞ベスト10入りを果たす社会現象となった。
プライベートでは、20代の頃に未婚で2人の子供を出産。2014年になって父親が妻子ある大物政治家だったことを告白し、世間を騒がせた。72年に中小企業社長と結婚するも死別。その後は、コメディアンの世志凡太(86)と事実婚。浅香さんの個人事務所の社長を世志が務め、公私で良きパートナーだった。浅香さんの病名を知っていた世志は、この日も憔悴しきっているといい、コメントは出さなかった。
入院直前の10月に入ってからも、NHK BSプレミアム「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」(22日、後9・00)を収録。「阿部定事件」の生き証人としてインタビューを受けたこの番組が、最後の仕事となった。卒寿を迎えても、いつでもオファーを受ける心持ちだったという浅香さん。“生涯現役”のまま、芸道を駆け抜けた。
