毒蝮三太夫 内海桂子さんの死惜しむ「芸の出し惜しみしない人」
漫才コンビ「内海桂子・好江」で人気を博した女性漫才師の第一人者で、漫才協会名誉会長の内海桂子(うつみ・けいこ、本名安藤良子=あんどう・よしこ)さんが22日午後11時39分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去していたことが28日、分かった。所属事務所が発表した。97歳。東京都出身。葬儀は27日に近親者で行った。
タレントの毒蝮三太夫(84)が28日、デイリースポーツの取材に応じ、22日に97歳で死去していたことがこの日、分かった漫才師の内海桂子さんを悼んだ。
内海さんとは知り合ってから50年近い仲。親友の落語家、故立川談志さんの紹介で「よくかわいがってくれましたよ」という。毒蝮、談志さん、内海さんの相方だった故内海好江さんは同じ昭和11年生まれで「みんな仲良かった」。
14歳上の内海さんは、毒蝮にとっては「おっかさんみたいな感じ。『ちゃんと座りなさい』、『ちゃんと聞きなさい』-俺が悪ガキみたいなもので、14歳違うからおふくろみたいなもの。こっちも言いたいこと言ってね」と、気の置けない関係だった。
内海さんが荒川区、毒蝮が台東区の小学校に通っており、毒蝮少年は近くの荒川区にも「よく遊びに行ってた」。そのため「話がよく合った。桂子さんは俺によく当時の下町の話をしてくれた。そういう話をする相手が少なかったんでしょうね」と、下町育ちの絆で結ばれていた。
15年前、毒蝮の小学校のクラス会を台東区の竜泉寺で開いた時、近くに住んでいた内海さんが「飛び入りで三味線を持ってきてくれて。三味線で歌ってくれて」ということがあった。「江戸っ子でした。芸の出し惜しみも話も出し惜しみもしない人。あんなに芸を出し惜しみしない人も珍しい」と内海さんの人柄をしのぶ。
2018年、内海さんの80周年を浅草公会堂で祝った際には、毒蝮がサプライズで花束を贈呈。「墓参りに来たよ」と言うと「アタシは動いてるよ、生きてるよ」と返された。また、「内海桂子とかけてスカイツリーと解きます。そのココロは」という謎かけで「倒れるようで倒れない」と解くと「いや、スカイツリーが倒れてもアタシの方が倒れない」と切り返された。
「怒るどころか笑ってましたよ。平気で言い合える相手。そういうことがやりとりできる芸人さんはいない」。そんな相手の死を毒蝮は「非常にさみしいというか、残念ですね」と悲しみ、「100歳まで生きるのは難しい。100歳まで生きてもらいたかった」と惜しんでいた。
